はるの魂 丸目はるのSF論評


女王天使

QUEEN OF ANGELS

グレッグ・ベア
1990


 テーマは、意識。殺人がほとんどなくなった社会で起きた8人の連続殺人事件。他星系に送られた機械系と生物系の融合した人工知能が送ってきた他星系での生命の発見。このふたつのできごとを軸に、意識、思考の変容、あり方を考え続ける作品である。
 ブードゥー教のイコンが顕在的に、潜在的に、全体を覆っているが、そもそも、そこのところはよくわからない。しかし、わからなくても問題なく読める。理解度の問題だから。
 ナノ技術によって人体変容をとげた警察官が殺人犯を追う。捕まえた犯人は、セラピストによって治療される。それは一種の人格変容であり、この時代のLAではあたりまえに行われている。セラピーを受けている人口の方が多く、むしろセラピーを受けていない方に問題があるとされる社会。セラピーを受けないまま警官となった健全な精神を持つ彼女の人格と精神のありようがひとつの柱。
 殺人犯は詩人であり、その友人だった男もまた売れない詩人として、この殺人事件を通し、精神の変容を体験する。彼の精神の救済がもうひとつの柱。
 殺人者を追うのは、警察官だけではない。淘汰主義者は、セラピーではなく、懲罰を求める。それは、ヘルクラウンと呼ばれる人工の夢枷。抜けられない悪夢を見せることで人格そのものを破壊する機械。この機械にかけられたものはその内から発する恐怖ゆえに死を望む。警察官は、ヘルクラウンと淘汰主義者を憎む。誰も、地獄の中で生きていたくはないから。
 殺人者は、しかし、別なところにとらえられていた。それは、彼の人格を、殺人の動機を知りたいと願うもの。セラピーでも、夢枷でもなく、知るために、殺人者の精神の「国」に入り、その探索を願うもの。そして、その探索ができる研究者を捜しだす。国で、その研究者が見つけたのは、感染する人格。感染される研究者の人格。
 いまだ人工知能に自意識を持たせることができずにいる研究者たち。通信距離片道4年以上。他星系で人工知能が発見したものは生命の兆候。人工知能は、地球上で別の高次の人工知能によってシミュレートされている。やがて人工知能は、自意識を得る。孤独を知ることで、ゆがんだかたちの自意識を得、その自意識を自らが正し、人格を得なければならなくなる。
 身体の変化によって得る新たな人格。他星系に送られた機械系と生物系の融合した人工知能が、他星系での発見によって得た自意識。その人工知能をシミュレートすることで自意識を得た地球上の人工知能。人格が自ら行う救済と変容。感染する人格。転移する人格。
 人格には、首位人格があり、それがいわゆる意識である。その下に、亜人格や人格とは呼べないまでもさまざまな局面で発生したタレントやエージェントといったルーチンを持つ。この複雑なルーチンシステムこそが脳という計算機のシステムである。そこには、精神の「国」があり、ひとりひとりの国はちがっている。これが、本小説で語られる人格と意識の姿である。
 本書は、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や、その続編と言われる「海辺のカラス」を彷彿とさせる。本書「QUEEN OF ANGELS」がアメリカで出版されたのは1990年、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は1985年である。そして、「海辺のカラス」が2003年。いずれも「国」を扱い、私たちはひとりひとりが「国」に生きていることを教えてくれる。
 そして、国は栄えることもあり、荒廃することもある。
 それは、あなたとわたし、かれらとわたし、それらとわたし、わたしとわたしのありようなのだ。
 わたしは、なぜ、このようなわたしであり、わたしは、どうやってわたしを知っているのだろう。わたしは、なぜ、毎日、夢を見るのか。その世界で、なぜわたしは…。
 今日のわたしと、明日のわたしと、昨日のわたしと、10年前のわたしと、10年後のわたしはおなじなのだろうか。どうして同じだと知るのだろうか。だれかが、同じだということを保証してくれるのか。外見だけが類似しているだけで、意識もおなじなのだろうか。ちがうのだろうか。いま、これを書いているわたしと、それを書きながら読んでいるわたし、わたしは、はしたわ…。
 グレッグ・ベアの「女王天使」と村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のどちらかでも読まれた方は、もう一方にも手を伸ばされるとよい。おすすめします。


2004.1.29



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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