はるの魂 丸目はるのSF論評


火星の砂

SANDS OF MARS

アーサー・C・クラーク
1952


 古典である。クラークの第2長編は、今(2004年)から50年以上前に執筆され、それから25年して翻訳されている。
 主人公は、地球きってのSF作家。初の旅客用地球−火星間原子力宇宙船に唯一の民間客として乗船し、旅客宇宙船や火星植民地の実情を見聞する。
 地球から宇宙ステーションまでのロケット航路では、加速度と薬で対処できるはずの宇宙酔いに苦しみ、無重力に感銘を受ける。宇宙ステーションから出発した原子力船に乗り込むと、船長に煙草を勧められ、疑問を呈すると「禁煙にしたら、反乱が起きる」と冗談を言われる。火星への旅は3カ月、地球からの催促に、タイプライターで打った原稿を宇宙船からFAXで電送する。無重力に慣れ、宇宙遊泳も体験し、ビールは水鉄砲で飲む。
植民がはじまったばかりの火星では、多くの科学者らが初代入植者としてドームを建設し、研究と生存のための取り組みを続けていた。もちろん、生活基盤もできつつあり、バーにはちゃんとバーテンがいる。ドームから出るときには、酸素マスクをつける。大気が薄く、酸素も少ないからである。火星には、酸素を火星の赤い砂=酸化鉄から取り出す植物がわずかに生えているだけ…。
 地球は、火星が金のかかるお荷物だと予算を絞り、火星人は自立のために地球に秘密で火星のテラフォーミングに向けた準備をはじめていた。

 1952年に出版されているということは、それ以前に書かれたものである。
 世界初の人工衛星スプートニクをソ連が打ち上げ、世界が驚愕したのは1957年のことである。世界初の商業用原子炉はイギリスで1956年に稼働をはじめた。本書に何度か出てくる「中間子」の理論で、湯川秀樹がノーベル賞を受賞したのが1949年。初のジェット旅客機コメットの試作機がイギリスでつくられたのも1949年。
 誰も、宇宙には行ったことがない。無重力は経験していない。火星は望遠鏡でしか見たことのない、時代。
 その時代の作品である。少し、現代風に読みかえれば、地球と宇宙ステーションを往復する化学燃料のシャトル。宇宙ステーションは、自ら回転して遠心力による疑似重力を生み出し、月や火星などへの基地となっている。火星船は原子力推進。酸素のほとんどない赤い砂の火星ではドームをつくり、生活しながら火星を将来テラフォーミングするための工夫をしている。火星船や火星には、デジタル化された音楽や書籍が積み込まれ、飽きることはない。土星への探査船が、木星を使ったスイングバイを検討していることさえ言及されている。
 現代風に少しだけ書き換えれば、立派に21世紀の作品として読める内容になるだろう。
 これが、アーサー・C・クラークである。そして、1950年代には、20世紀中に火星に人が住んでもおかしくないというSFが多くの人に読まれたのだ。

 もちろん、SFとしてのクラークの想像力では描かれていなかったり、今読めば奇妙なところはある。
 データは、FAX送信されている。電子メールはない。電子データによる音楽や書物についてはふれられているが、コンピュータについての言及はない。
 カラー写真は、まだ、新しく、とても高価だ。もちろん、カラー映像を地球に送るのも技術的に困難とされている。火星に高い山がなく、土星に15の衛星があることになっている。そういう記述があって、違和感を覚えてはじめて、本書が古典であること50年以上前に書かれた本であることに気がつく。
 翻訳は、昭和4年(1929年)生まれの翻訳者によるもので、日本語版が1978年出版である。それによる、語り口の違和感もあろう。
 それにしても、50年前のものとは思えないハードSFである。本書が、それ以降の火星を舞台にしたSFに与えた影響は大きい。本書のパターンは、のちの火星開拓SFでも繰り返し登場する。火星はそれほどまでに魅力的であり、望遠鏡の時代から、火星は人類をとらえてはなさなかった。クラークは、書いていてとても楽しかっただろう。

 2004年3月3日、NASA(アメリカ航空宇宙局)が、現在火星で進行している2台の無人地上探査機の調査結果として、かつて火星に大量の水が液体として存在していることの物的証拠を発見したと発表した。
 その水は、どこに行ったのだろう。そして、火星に生命は誕生したのだろうか。
 私たちは、次に火星で何を見るだろうか。
 楽しみでならない。1917年生まれのクラークもまた、人類の遅い歩みにはらはらしながら、このニュースを聞いただろうか。


(2004.03.06)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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