はるの魂 丸目はるのSF論評


幼年期の終わり

CHILDEHOOD'S END

アーサー・C・クラーク
1953


 創元社からは「地球幼年期の終わり」という邦題で出ている。私が読んだのは、早川書房の文庫版で福島正実訳のもの。はじめて読んだのは高校生の頃。当時400円だった。子どもの頃からSFが大好きで、九州の山深い田舎の小さな書店で創元社や早川書房、あるいは当時出ていたサンリオSF文庫のコーナーを行きつ帰りつ、財布の中身とタイトルとあとがきやつりがきを読みながら、真剣に選び、買っていた日々のことである。
 実世界は狭く、窮屈で、どこにむけてよいのか分からないエネルギーと鬱屈した時間と精神は、SFを読むときだけ開放され、どこまでも広い世界に向けて無限の時間を旅することができた。
 それから、25年ほどの時間を渡ってきた。
 あらためて、「幼年期の終わり」を手に取り、「それはちょうど、時という閉ざされた輪の内側を、未来から過去へとまわりまわってひずんだ木霊のようなものだったのだ。これは記憶と呼ぶべきものではない、予感と呼ぶべきものだ」との一文を見いだして、置き去りにしてきた時に対し、後悔でも、憐憫でも、懐かしさでもない、ただその時の記憶と予感に情感を揺さぶられた。
 本書は、異星人とのファーストコンタクトものであり、地球人類が支配管理される侵略ものであり、人類史の終末ものであり、生命と精神の変容(進化?)ものである。それらすべての要素をひとつの物語にまとめ、読者を引き込み、引きずり回し、変異させ、転移させ、そして、突き放す。登場人物のすべてを、読者のすべてを突き放し、かつて人類と呼ばれた生命と精神は、私たちが理解できないものへと昇華していく。それは目的なのか、結果なのか。
 本書では、人類と対比的に、恒星と惑星のすべてを支配する力を持ちながら、それ以上どこにも行くことができない存在、変わることに憧れ続ける存在、幼年期を持たない存在を書いている。幼年期を持つこと、変わることができること、これこそが人類の生命としての強みではないだろうか。
 私たちは変わりゆく。記憶と予感を抱きながら、流転する。
 人類が、変わりゆく存在である限り、SFは存在し、「幼年期の終わり」は、SFが生んだ金字塔として輝き続けるだろう。
 ところで、あなたの幼年期はまだ続いていますか?


(2004.3.8)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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