はるの魂 丸目はるのSF論評
赤い惑星への航海
VOYAGE TO THE RED PLANET
テリー・ビッスン
1990
火星ものである。政府機関が機関ごとに多国籍企業グループに買収されている21世紀初頭。20世紀末に起きた大恐慌がきっかけで、世界は大きく変わった。20世紀最後の年に、アメリカとソ連が共同ですすめていた火星探査船は知るものもほとんどないまま放置され、準備クルーも離散した。火星探査船の存在と所有権を確認したある企業グループの映画会社が、火星探査船を実際に火星に飛ばし、映画撮影を思い立つ。20年前のクルー2人と人工冬眠の医師、カメラマン、映画俳優2人、それに、若い密航者1名を乗せた火星探査船は、映画会社のプロデューサーとひとりの航行管制を担当する若者を地球との窓口に、火星に向けて18カ月の旅に出発する。
その後、プロデューサーは資金を集めるため会社を変わり、奔走する。航空管制官は、生活のためのアルバイトを続けながらアルバイト先のコンピュータ時間をあてにしてなんとか航行管制を続ける。
そして、18カ月後、火星に到着。映画撮影がはじまった。
調査でも、研究でもない。映画撮影である。一山あてようというプロデューサーの思いつきである。
どんな動機であれ、宇宙飛行士は、機会が与えられて、それを見逃すはずはない。まして、ふたたび無重力空間に戻り、最初の火星探査船を動かし、誰もまだ行ったことのない火星に降り立つことができるのだ。そういう人種であってほしい。
真にプロの俳優は、ものごとに動じない。エンターテイメント産業で花形として生きるとは、ものごとに動じないと同義である。頼まれれば、宇宙船の操作だってやれる(はずだ)。みんなが期待しているから。
カメラマンは、いつもカメラを離さない。理想の光を探し続ける。
密航者に真の動機はない。星ではなく、スターに会いたいぐらいの気持ちだったのかも知れない。たぶん、退屈で、ドアが開いていたんだろう。
医者は…、脅迫されてやってきたのだ。しぶしぶ。
地球で起こっている世俗の出来事、資金集めや企業買収、マスコミの報道を遠くの雑音のように聞きながら、船は進み、赤い大地へ人は立つ。
出発までの描写と、火星での描写、それから、火星探査船やシャトル、火星着陸船、火星バギーなどの描写はとてもおもしろい。
残念なことがあるとすれば、1990年以前の知識しかないことである。
2004年の私たちは、1996年以降火星に都合3台の地上移動探査機を送り出しており、ヴァイキングやマリナーが撮影した1960年代から70年代の火星よりもはるかに火星に近くなっている。
もうひとつ、これは本書のせいではないが、コロンビア級のシャトルは300回の打ち上げに耐えることはなく、2003年2月に初号スペースシャトルであるコロンビアは28回目のミッションで着陸直前に大破し、ソ連も1991年に崩壊し、20世紀を超えることがなかった。
近い火星、近い未来を舞台にしているだけに、今読むと、現実とのずれに違和感を持ってしまう。
それでも、もし火星が好きならば、ひとつ読んでみるとよい。
なんとかして、人は火星を目指したがるものだから。
(2004.03.09)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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