はるの魂 丸目はるのSF論評
脳波
BRAIN WAVE
ポール・アンダースン
1954
1990年、トルコ・イスタンブールの動物園に行った。ハゲワシが、飼育係の動きをじっと見つめ、簡単なかんぬきをはずそうと、くちばしでつついたり、棒を加えて引いたり、そして、自分は何をしているんだろう、何かがしたいんだというような顔をしながら、考え込んでいた。もう少しではずせそうな様子が不気味であり、愛らしくもあった。
現在、わが家にはスナネズミがいる。毎日眺めていると、中には、紙筒や素焼きの土管を半日かけて連結して巣までのトンネルをつくったり、紙筒を自分の望む形に噛み切り、決めた場所に必ず置くやつがいたりする。メス同士、オス同士、2匹がいっしょに暮らしていると、時々けんかもするが、なかなか楽しく過ごしている。片方が病気などで死ぬと、生き残ったもう片方は、何もかもやる気をなくしたという態度で、食欲を失い、じっとへたりこんだりする。
東京のカラスは、おいしいものがどこにあるかを知っている。何を警戒すればいいかも知っている。単独行動もするし、集団行動もする。とても賢い。
トルコのハゲワシ、わが家のスナネズミ、東京のカラス、脳はとても小さい。しかし、単に環境に反応しているだけではなく、あるもので工夫もすれば、所作の好き嫌いもあり、感情も見受けられ、時には考えているのではないかというような気にさせられる。
知性ってなんだろう。
地球上で、人間だけがもつ性質なのだろうか?
感情ってなんだろう。
これは人間だけではない。
本書は、地球がある日、それまでの長期にかけて存在していた宇宙のある場から抜け出したために起きた現象からスタートする。それは、物理法則の一部を変えるものであり、生物、とりわけ、複雑な脳を持つ生物にとっては大きな影響を与えた。それまで、物理法則の異常により、知性の発達を抑え込んでいた場から抜け出たため、知性が急激に向上したのだ。人間だけではない。ウサギ、馬、豚、鳥、羊、犬、象、チンパンジー…。
ほとんどの人間は、知性の向上によるそれまでの文化や文明の急激な崩壊と変化、自分自身の変化、周囲の変化に適応し、新たな存在として生まれ変わっていく。しかし、もちろん、その変化に適応できないもの、もともと知能が低く、急激な向上によっても、それまでの人間並みにしかならなかったもの、そして、知性を得た動物は、新たな存在になるわけではない。そこには大きな断絶がある。
たとえ愛し合い、理解し合っていた夫婦であっても、その断絶は乗り越えられない。
もはや、風景すら違って見え、感情のありようも、愛という単語の意味も違ってしまったのだから。
もし、明日、あなたとあなたの周囲のすべての人たちが、天才的な発想、ひらめき、論理展開、知識欲、理解力を持ったら、この世の中はどうなるでしょうか。
「できること? それは、生きるということさ。毎日毎日生きていくことだ。だれだって、それよりほかにしようがないじゃないか」
もともと知能が低く、農場で動物の世話をしていた男に、農場を離れると告げた知性が向上した農場管理人が、異常な行動を見せる動物にとまどい、農場をまかせられることにとまどう男に対して言う科白である。
本書は、ポール・アンダースンをSF作家として位置づけ、古典作品として知られる。1954年に出版されたものであり、同年代に出版されたアシモフ、クラーク、ハインラインらの作品と比べても、その科学知識の古さや技術の古さには現代人としてとまどいを覚える。古いSFの中には、どうしても、そういう科学知識、技術の変化、社会の変化の結果、古さ、時代の違和感を感じるものが多くなる。そういう古さを感じさせるものは、絶版となり、重要な古典的作品であっても消えていく。
知性の向上、人間の変容による社会の急激な変容というテーマは、しかし、一向に古くない。ウイルス、細菌、自然災害、人為的災害、戦争、新技術の登場、あらたな思想や行動規範…私たちの文化、文明、生存や価値観は、常に変容にさらされている。変容は、今、その幅が大きくなっている。私たちは、変容の中を日々生きていくしかない。
そして、変容に備え、乗り越え、流され、守り、捨て続けなければならない。
変容の先に、どんな人間、どんな社会、どんな文化を確立するのか。
「変容」こそ、SF小説に課せられた重要なテーマなのである。
(2004.3.18)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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