はるの魂 丸目はるのSF論評
重力の影
TWISTOR
ジョン・クレイマー
1989
ワシントン大学の物理学者ジョン・クレイマーの処女長編である。ハードSFで物理学者といえば、ロバート・L・フォワードが有名なところだが、フォワードよりも、「ゴム製科学」で遊んでいる分読みやすい。「ゴム製科学」とは、クレイマーいわく、本物のようにみせかけたSFのために伸び縮みさせた科学のことである。そして、さすが物理学者だけあって、付録に、どこがゴム製なのかを解説するページが用意されている。
本書は、1993年の秋、ワシントン大学の物理学部が最初の舞台である。物理学の実験屋ポスドク=ポスト・ドクターである主人公と、同じ教室の大学院生で赤毛の美人が実験中にひょんなことから発見したツイスター場は、別の宇宙の窓口だった。
1984年にブライアン・グリーンらが提唱し一度盛り上がった超ひも理論は、これが書かれた当時最新の物理学トピックス。ここからアイディアを引っ張り出して、この時空と平行する宇宙を生み出し、この時空との相互関係を生み出すことで、新しい魅力あふれる「もうひとつの地球」が誕生した。
もうひとつの地球、人間がおらず、手つかずの大地というアイディアといえば、理論的背景なしにジュブナイルSFとして書かれた「ワイルドサイド」(1996 スティーヴン・グールド)を思い出す。もし、このもうひとつの地球や宇宙が、誰かの手に独占されたら、どんなことになるか。本書の主人公たちも、さんざんなトラブルに巻き込まれ、なんとか、まっとうな科学者として秘密を秘密ではなくするために奮闘する。
最後は、自分たちが発見した装置を使って危機を脱却し、めでたしめでたし、のストーリーであるが、フォワードよりは人間が書けており、読み応えはある。
しかし、もうひとつ、おもしろい読み方がある。赤毛の美女大学院生の弟は、一度補導歴のあるハッカー。コンピュータのアクセスを禁止されているものの、姉のマッキントッシュ3を無断借用し、4800bpsでビットネットにアクセスし、姉と主人公の指導教授の個人データをハッキングする。「まったく、このギブスンってやつ、帯域幅や送信速度限界のことなんか聞いたこともないにきまっている。ちっぽけな阿呆頭に電線をつなぐだけで瞬時に全宇宙をダウンロードできるなんて思ってんのさ。いつか暇ができたら、四千八百ボーの通信線に二、三メガバイトをダウンロードしてみてほしいもんだね」と、高校の授業で出てきたウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」(1984)をこきおろしている。舞台が1993年だから、4800bpsでも、まあ遅いとはいえいいけれど、たしか、そのころには、1.4Kのモデムが出ていたなあ。もう少し通信速度を速くしておけばよかったのに。この点では、物理学者クレイマーは、コンピュータ/通信産業の長足の進歩を予感できなかったようである。ちなみに、主人公のパソコンも登場している。「フラット・マック」である。「高解像度平面カラースクリーンを蓋に組みこんだこの小さなブリーフケース型マシン」が登場している。ラップトップ(ノート)パソコンである。マッキントッシュばかり出てくるのは、その当時だからしょうがないが、1993年のラップトップといえば、高かったなあ。NECの98ノートはモノクロ画面だったし、OSはDOSだった。94年に当時勤めていた会社にDOS/V版WINDOWS3.1搭載の初号機としてIBMのThinkPad330を1台導入し、私が使っていた。トラックポイントがなくて、まだマウスがついていた時代だ。パソコンについては、まあ、悪くはないというところかも。
実際、近未来を予測すると、こういうことが起こる。過去から近未来を予想した本を、それより未来になってから読むのはなかなかおもしろい。著者には申し訳ないが、未来にいる読者の特権である。
さて、話があちらこちらにいくが、本書では、「ニューロマンサー」だけでなく、いろんなSFやSF作家が登場する。「火星年代記」(1946 レイ・ブラッドベリ)は、「科学的事象に対する気ままなアプローチ」で気に入らないし、「終わりなき戦い」(1974 ジョー・ホールドマン)のあとでは、「宇宙の戦士」(1959 ロバート・A・ハインライン)もかすんでしまう。主人公の書棚にあり、ハッカーの少年が読むSF作家は、ニーヴン、ベンフォード、ブリン、ベア、ホーガン、さらにウルフの「拷問者の影」…。
うーん、物理学者好みの、ハードSFだったり、科学者が活躍するちょっと私の嫌いな「科学万能思想」の作者群だったりするなあ。もちろん、ウルフをのぞいて、私は邦訳されているこれらの作家のほとんどを読んでいるわけで、こういう楽屋落ち的な名前の羅列も嫌いではないけれど。
ハードSFだが、カテゴリーとしては、「もうひとつの地球」「もうひとつの宇宙」「平行世界」ものか。
なお、超ひも理論の方は、一時静かになったものの、1990年代終わりから再び盛り上がり、2004年の今も、生き続けている。詳しくは、ブライアン・グリーンの「エレガントな宇宙」(1999原著 邦訳2001年草思社)を読まれるとよい。こちらは、SFでなく超ひも理論の提唱者が一般向けに書いた科学書である。読み応えはあるし、よく分からないところも当然素人にはあるが、それでも、わくわくする1冊だ。っと、何の書評だったっけ。
(2004.5.4)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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