はるの魂 丸目はるのSF論評


エンダーの子どもたち

CHILDREN OF THE MIND

オースン・スコット・カード
1996


「エンダーのゲーム」にはじまるエンダーシリーズのうち、エンダー本人のいる3千年後の世界を描いた「死者の代弁者」シリーズの第3部であり、「ゼノサイド」の後半と言ってもよい。邦題は「エンダーの子どもたち」であるが、原題は「心の子どもたち」という感じだろうか。
 ところで、「ゼノサイド」が出版されたのは、1991年で、邦訳が1994年。
 本書は、1996年に出され、邦訳は2001年。
 ちなみに、「エンダーのゲーム」の同時代続編となる「エンダーズ・シャドウ」は、1999年に出され、2001年に邦訳。「シャドウ・オブ・ヘゲモン」が、2000年出版で、2003年邦訳。
 ん?
 どうして、「ゼノサイド」の後編である本書の邦訳は、「エンダーズ・シャドウ」の後なのだ?
 勝手に想像してみよう。
「ゼノサイド」はあまり評判がよくなかった。しかも、本書は日本社会の影響を受けた惑星ディヴァイン・ウインド(神風)が登場し、登場人物には、ツツミ・ヨシアキ=セイジ氏などという固有名詞もある。第二次世界大戦や原爆への記述、著者謝辞やあとがきには、大江健三郎、あるいは遠藤周作の「赤い河」への記述があり、オボロ・ヒカリという名の哲学者が登場し、「あいまいな光」と名を持つではないかと指摘されている。
 日本文化や日本の宗教観について書かれた海外SFはたいていひどくけなされている。
 ゆえに、本書を出版しても、商業的にも、評判としてもうまみはないだろう。
 ところが、「エンダーズ・シャドウ」が上梓された。なかなかおもしろく、評価されている。シリーズ化されるようでもある。エンダーシリーズが続くならば、本書だけを翻訳しないわけにもいくまい。
 ということで、「シャドウ」シリーズが出たゆえに、翻訳されたのではなかろうか?
 ありがたいことである。
 そして、皮肉なことである。
 本書には、前出の惑星ディヴァイン・ウインドでの日本宗教文化とポリネシア文化惑星パシフィカのサモア宗教文化が登場する。周辺国家、中心国家の概念について語っている。物語に、これら「周辺国家」が大きく関わる。前3作に較べて、現実社会がわかりやすく投影されている。
 本書には著者あとがきがある。この文章が日本語版のためにつけられたのか、原著にあるのか不明である。著者はあとがきの中で、第二次世界大戦の日本について触れ、周辺国家、中心国家についての概念を整理し、アメリカについて考察する。そして、その考えが正しいかどうか未来にならないと分からないとする。
 本書邦訳が出版されたのは2001年2月。それから半年ほどのち、911が起こり、アメリカはその正体をあらわした。同時に、日本もその正体をあらわしつつある。
 本書の書くような日本は存在しない。

 本書は、そのタイミングとあとがきゆえに苦笑を持って迎えられる。
 SFが現実との接点を持ち、未来を語る限り、そのリスクは存在する。
 著者あとがきをつけなければよかったのに。

 と、物語について書くのを忘れた。死と再生の物語であり、エンダー・ウィッギンの3千年に及ぶ旅は死を赦されて終わりを告げる。


(2004.6.15)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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