はるの魂 丸目はるのSF論評


火星のタイム・スリップ

MARTIAN TIME-SLIP

フィリップ・K・ディック
1964


 ディックの作品の中では作品そのものが「つじつま」のあわないことも多い。翻訳者泣かせであろう。本書は、ディック作品の中では「読みやすい」方である。
 何年ぶりなのだろう。読み返したのは。
 はじめて読んだとき、まだ、本書が舞台の1994年は遠かった。もちろん、そんなことはどうだっていいことだ。はじめて読んだとき、何を思ったのだろう。泣いただろうか、恐れただろうか、足下の床が抜けただろうか。
 生まれてから本書に出会うまでと、再読した今とではほぼ同じくらいの時が経っている。約20年ずつだ。
 はじめて読んだころ、僕は今より不安定で、世界は今より安定していた。今、私は安定しているつもりになっていて、世界は不安定さを増しているようだ。
 はじめて読んだころ、僕は現実の中にいただろうか。はじめて読んだ僕と、今の私はひと続きの存在なのだろうか。この本の中身はそのときと同じなのだろうか。いや、この本は黄ばみ、時を超え、私に、おまえはあのときこのページを開いたおまえと同じ者だが同じではない、変わったのは黄ばんだ紙と、おまえであるとささやいている。
 などということを書きたくなるのが、ディックの作品である。
 とりわけ、本書は、ディック初心者にはおすすめの、「怖い」本である。そして、「力強い」本である。疲れたとき、だめになりそうなとき、読むといい。また、20年後に、いやもっと早くに、再会しよう。

 たまには、あらすじを書いておこう。

 1994年8月、火星。火星の原住民ブリークマンは衰退し、地球から火星に移住してきた人間が少しずつ火星の砂と水不足の中を暮らしている。

ジャック・ボーレンは腕利きの修理工。ミスター・イーの下で働き、アーニー・コットに貸し出され、ドリーン・アンダートンに慰められ、マンフレッド・スタイナーを救おうとし、ブリークマンを助け、レオ・ボーレンに困惑し、シルビア・ボーレンの元に戻る。

ノーバート・スタイナーは、火星で唯一の健康食品訪問販売業者。アーニー・コットに闇食品を売り、ボーレン家の隣に住み、オットー・ジッドを雇い、マンフレッド・スタイナーをBGキャンプにあずけ、アン・エスターヘイジーに嫌な話を聞き、ミルトン・クローブ博士と話し、そしてバスに飛び込んで自殺する。

ミルトン・クローブ博士は、精神科の医師。マンフレッド・スタイナーを眺め、ノーバート・スタイナーと話し、アーニー・コットと会い、アン・エスターヘイジーを脅し、アーニー・コットを脅す。

オットー・ジッドは、ノーバートの事業を引き継ぐ。アーニー・コットの怒りを買い、シルビア・ボーレンと密会し、アーニー・コットを殺す。

レオ・スタイナーは山師。地球で火星のFDR山開発計画を知り、事前に土地を投機目的で入手すべく火星に来る。息子を諭し、息子に道徳を説かれても、目的は果たす。

アーニー・コットは、水利労組第四惑星支部組合長。アン・エスターヘイジーと結婚し、離婚し、子どもをなし、へリオというブリークマンで料理人の男と会話し、ドリーン・アンダートンを抱き、アーニー・コットを雇い、ミルトン・クローブ博士に話を聞き、マンフレッド・スタイナーの予知能力を信じ、FDR山開発計画を知るが手遅れになり、過去に戻ろうとし、マンフレッドの世界に飲まれ、再び現実に戻ったことを知らぬうちに死ぬ。

アン・エスターヘイジーは、ギフトショップを経営し、婦人連盟に属し、時事新報を発行し、政治活動に余念がない。アーニー・コットとの間に子どもをなし、ノーバート・スタイナーと話をし、フルートのような楽器を売り、BGキャンプに子どもを預け、アーニー・コットと話をし、ミルトン・クローブ博士に脅され、脅し、話し合い、マンフレッド・スタイナーをBGキャンプに戻すため、アーニー・コットを止めようとする。

ドリーン・アンダートンは、水利組合の会計担当。かつて地球で自殺した弟を持ち、アーニー・コットの愛人で、公認の内にジャック・ボーレンと愛し合い、マンフレッド・スタイナーを恐れ、ジャック・ボーレンと分かれる。

シルビア・ボーレンは、ジャック・ボーレンと結婚し、デイヴィッドを生み、育てる。隣家が嫌いで、友だちとコーヒーを飲みながらうわさ話をし、レオをもてなし、ロマンスを夢見、オットー・ジッドに出会い、招き入れ、友だちに電話をし、ジャック・ボーレンを許す。

マンフレッド・スタイナーは、自閉症で、時間軸が狂い、未来に生き、未来を恐れ、別の時間を手に入れ、ブリークマンとともに生き、かつて助けようとしてくれたジャック・ボーレンと、母親に会うため、あったかも知れない未来から挨拶に来る。

 ガビッシュシュも、ガブルも、ない世界を、マンフレッド・スタイナーは手に入れた。
 同時に、ジャック・ボーレンも、世界を手に入れた。彼は、がんばったのだ。自分を変えずに、信じるものを間違えないように、飲み込まれそうになりながらも、あらゆるものにすがりつきながらも。
 そう。どこでも、いつでも、ガビッシュは降ってくる。ガブルは止まない。
 いつだって、どこだって、気がつけば、ガビッシュに満ち、ガブルに悩まされる。
 避けるのに必要なのは、道徳ではない。神性でもない。
 日々の、ささやかな、ひとつずつの出来事であり、行いなのだ。
 そう、ガビッシュに気をつけたまえ。どこにでもそれはあるから。
 それが、今だから。


(2004.7.3)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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