はるの魂 丸目はるのSF論評


グリーン・マーズ

GREEN MARS

キム・スタンリー・ロビンスン
1994


「レッド・マーズ」に続く、火星三部作の二作目である。前作は、2020年代にはじまり、2061年に火星に住む人たちが地球に対して起こした革命とその失敗をもって終わる。
 本書は、それから数十年後、2100年代初頭の物語であり、2127年、「最初の百人」が火星の到着して1世紀が過ぎたところで幕を閉じる。
 火星は、暫定統治機構と、それを牛耳るトランスナショナル(超国籍企業体)によって支配され、レッド・マーズでやぶれた「最初の百人」の生き残りをはじめ、独立を望む人々は、コロニーを作って隠れ続けていた。火星のテラフォーミングは急速な勢いで進められ、新たな宇宙エレベーターの建設もはじめられていた。  地球もまた、混乱を続けていた。2061年戦争のあと、地球は事実上、超国籍企業体が国家を運営するような事態になったが、超国籍企業体間の紛争、国家間の紛争、地域紛争などは止むことなく、さらに、長命技術を受けられる者に対する、受けられない者=死すべき者の怒りもあり、経済、社会システム全体が破局を迎えつつあった。

 本書は、前作に引き続き、火星という惑星に暮らすとはどういうことかを楽しませてくれる。急速なテラフォーミングの実現と、意外に多くあった火星の水というおまけにより、描写される惑星規模の変化そのものが本書のおもしろさのひとつである。

 一方、本書は、「人が死ななくなったら社会はどうなるか」について、考察する。火星では、最初の百人が長寿化処置を受け、その後、人々は長寿化していく。前作で現役だった者たちは、本作でも現役である。しかも、第二世代、第三世代が育ってくる。単なる高齢社会ではない。高齢者たちが第一線で働き続けるのだ。もちろん、火星では人口はまだ少なく、社会そのものを形成する過程にあるため、世代間のトラブルはまだそれほど顕在化しない。また、長寿化処置とはいえ、老化そのものは進むので、過去を忘れてしまったり、容姿に衰えが出てくるという特殊な条件もある。長寿化処置は一定期間ごとに受け続けなければならない。自殺する者や長寿化処置をそれ以上受けない者も出てくる。
 長寿化処置のある社会はどのように成立し、人の意識はどのように変わるのか。
 そもそもなぜ人は生き続けたいのか。考えさせられる。

 さて、本書で印象的なシーンがふたつある。
 ひとつは、火星で隠れて生活する様々な人たちが集まって火星の独立方法と独立後の社会をめぐって議論を戦わせる会議のシーンである。火星のテラフォーミングのありかたをめぐって存在するレッズとグリーンの対立、文化、思想、宗教の対立、世代の対立…。それらの対立を議論にまとめる1カ月にもおよぶ会議。その議論と調整役の働き。この会議にたっぷりと紙面を費やしている。そして、社会をつくる過程、たとえばアメリカ合衆国などが国として形をなす過程を再現しようとしている。その大変さと、浮かれかげんが読んでいて楽しい。
 もうひとつは、火星を歩くシーンである。大気がずいぶん厚くなった火星では、問題になるのは酸素分圧、二酸化炭素分圧、そして、温度である。本書には多くの火星を歩くシーンが出てくる。なかでも圧巻なのは、最後のところである。20万人の人々が、洪水の危機に歩いてドーム都市を脱出しなければならなくなる。70km、約30時間におよぶ徒歩での避難シーン。その理由や方法については、読んで欲しいので書かないが、描写の美しさには感動すら覚える。まあ、文庫で1000ページ以上読んだ上でのことなので、頭も朦朧としているのだが。
 とにかく、ぐいぐい読めるというたぐいの本ではない。「レッド・マーズ」もそうだが、書かれている景色や状況を頭に思いめぐらし、頭の中で描写するのがとても大変なのだ。なにぶんにも火星の光景である。どうしても、時間がかかってしまう。
 それでも、読み飽きないのは、人と自然の描写対比がうまいからだ。
 そして、最後のシーン。再び起こる革命と、洪水。「レッド・マーズ」と「グリーン・マーズ」の相同と相違。「レッド・マーズ」のもうひとつの答え。それこそ読みたかったものだ。
 早く、「ブルー・マーズ」を翻訳出版して欲しい。私には、これを英語で読む英語力も時間もない。お願いします、東京創元社さん。

 ヒューゴー賞、ローカス賞受賞


(2004.07.31)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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