はるの魂 丸目はるのSF論評
ウェットウェア
WETWARE
ルーディ・ラッカー
1989
前作ソフトウェアの世界から10年後、2030年の月世界。知性を持ったロボット“バッパー”は、内戦の間に彼らがつくった月都市を人間に追われ、さらに地下に潜ることとなった。人間はふたたび月の主導権を持ち、バッパーを亜人間として虐げる。しかし、バッパー側も負けてはいない。あるものは、人間の脳に遠隔操作ロボットを入れて肉人形として使う。そして、人間をはるかに凌駕する新しいバッパーの開発をめざす。あるものは、人体を培養し、パーツを販売して利益を得ながら研究を続け、バッパーのソフトウェアと知識を持った人間、マンチャイルを生み出す。しかし、人間は、知性を持つ人間以外の存在を許したくなく、ましてや、人間の姿をし、生殖能力を持つマンチャイルなど許し難いことであった。
と、あらすじの一部を書くと、すごくまっとうなSF小説のように見えてくるから不思議だ。もちろん、まっとうなのだが、そこはそれ、ぶっとび数学者/SF作家のラッカーである、一筋縄ではいかない。主人公は、年をとってオジン化したスタアン・ムーニーこと前作のぶっとび登場人物ステイ=ハイ。前作の最後でハッピーエンドに迎えたはずが、つい間違えて最愛のウエンディを殺してしまい、月に逃げて私立探偵をやっている。
今回のだしものは、“マージ”人体を一時的にどろどろに溶かして、融合させることができる麻薬である。ひとりでもふたりでもさんにんでも大丈夫。どろりどろどろ、一緒にバスタブで溶けようぜ。しばらくしたら元に戻るから。
もうひとつのだしものは、バッパーが開発したマンチャイル。ディックの小説に出てきたことがあるような、美しく生殖能力にたけた、成長がとても早く、環境から学習するより前に、内なる知識とソフトウェアから学ぶ能力を持つ男たち。
さらに、バッパーを追いつめようと開発された、チップカビ。効果は絶大。さらに、副産物が生まれる。前作でステイ=ハイが大好きだったハッピー外套とチップカビが融合して、“カビイ”になり、あら大変、今度こそ本当に「地球の長い午後」のアミガサタケになっちまう。
これまでのSFへの不朽の愛と、「すべて」は「ひとつ」というラッカーの、いや、ラッカー世代のサブカルチャーの思想信条をひっさげて、やりたい放題の一冊に仕上がっている。
書かれていることの本質は、ラブアンドピースである。
人間とバッパーとマンチャイルとカビイと肉人形とソフトウェア/データの集積体“S−キューブ”…、知性って、生命って何ぞ。
私たちは、どこまで、分かり合えるのか、どこまで分かり合ったら、存在を許し、認め合えるのか。分かり合い、認め合うことができる存在なのか?
ラッカーは、問いつめる。
読む私は、問いつめられながらも、その文体とスピードに酔いしれる。
(2004.8.8)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
(スパム防止のため、全角表記にしています。連絡時は、半角英数にてお願いします)
●作家別●テーマ別●執筆年別
トップページ