はるの魂 丸目はるのSF論評
メトセラの子ら
METHUSELAH'S CHILDREN
ロバート・A・ハインライン
1958
ラザルス・ロング登場である。「愛に時間を」の主人公である。
長生きの冒険野郎である。
本書は、人類の一部が計画的に発生させた長命族と短命な普通の人類の間に起こる確執をテーマにした「迫害される新人類」ものである。それと同時に、太陽系を超えた大宇宙を縦横無尽に旅して移住の土地を探す、開拓ものでもある。
時は2136年。地球は人口増大の続く中、個人の自由を尊重しながらも徹底した管理社会になっていた。19世紀にはじまった長命族を生み出す計画は順調にいっていたものの、長命者たちは、その存在をひた隠しにせざるを得なかった。ひとたび、彼らの存在が明らかになれば、短命な人々は、その秘密をめぐって彼らに何をするか分からないからである。しかし、長命族の中には、管理社会が厳しくなる中で、秘密を保つことは難しく、地球社会の一員として早めにその存在を知らしめたほうがよいと考えるものもいた。人類は成長し、彼ら長命族を受け入れることはできると信じたのだ。
しかし、一度彼らの存在が明らかになると、人々は、彼らが長命を保つ「秘密」を独り占めしていると怒り、そのような秘密はないにもかかわらず、歴史的に影を潜めていた暴力さえ起こるようになってしまった。
このままでは長命族のファミリーは人権を制約され、あるいは殺されてしまうだろう。
やむなく、彼らは宇宙への道を選ぶ。
そこから、現代では読むことのできない異星人たちが登場して、楽しくなるのだが、それはこれから読む人たちのお楽しみということで…。
本書が発表されたのは、「宇宙の孤児」と同じ1941年である。そのため、「宇宙の孤児」のあとがきに書いてあるとおり、本書と「宇宙の孤児」にはささやかなつながりがある。しかしそれ以外は、まったく別のSFである。
この長命族を超能力者に変えてもよい。魔法使いでも、人狼でも、吸血鬼でもよい。
常なるものと違う能力を持つ者は、迫害され、その能力を持ちながらも、社会の影でおびえて暮らすのだ。迫害するものこそ、「ふつうの人たち」であり、「よき隣人」であるのである。SFのひとつのテーマに、「人間性」がある。はたして、人間とは何か? 他者をどこまで認めるのか? 突き詰めて、読者=よき隣人に問いかける。
もちろん、たかがエンターテイメントである。たかがSFである。難しく読む必要はない。読んでいくうちに、自分ならどうするだろう。狩るものとして、狩られるものとして、どのような想いを互いに抱くのだろうと無意識に考えさせる。
それがSFの文学としての可能性である。
おっと、「宇宙の孤児」でも、ふつうの人たちとミュータントという狩るもの/狩られるものの接点があったなあ。「宇宙の戦士」にもそういう側面があるぞ。
ハインラインのひとつの側面である。
(2004.09.25)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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