はるの魂 丸目はるのSF論評


オッド・ジョン

ODD JOHN

オラフ・ステープルドン
1934


 本書は、ハヤカワ文庫SFにて1977年発行。購入したのはおそらく1980年頃のことだろう。竹宮恵子の漫画「地球へ」が星雲賞をとったのが1978年。アニメ映画化が1980年である。ここからしばらく、「地球へ」の下敷きになった「スラン」(A・E・ヴァン・ヴォークト)をはじめ、「人間以上」(シオドア・スタージョン)、「アトムの子ら」(ウィルマー・I・H・シラス)など、迫害される超能力者や超人類(新人類)を描いた作品が人気を集めた。TVアニメ「機動戦士ガンダム」は1979年より放映され、1980年以降の再放送で人気を集めた。「ニュータイプ」という言葉がはやったのもこの頃である。
 もし、この頃に、同様のテーマが社会現象にならなければ、本書が訳されることはなかったのかも知れない。そして、ちょうど、中高生だった私はきちんと流行に巻き込まれ、これらの作品を読みあさったのである。

 本書は、1934年に発表されたイギリスSFであり、超能力者や人間を超えるものを扱った最初の作品として知られている。また、人間を超えるものの視点から、人間の精神や社会、文明のありようについて鋭くとらえる手法を得た作品でもある。

 オッド・ジョン(奇妙なジョン)は、1910年に生まれ、1933年にその短くも深遠な生を終える。本書は、普通の人間であるジョンの両親の友人であるジャーナリストがジョンの生涯を人間の目から伝記的に書き記すという形式でほぼ順を追って語られる。
 異形で成長が遅く、4歳になってはじめて発した言葉は文法的に正しい言語で、高等数学をあやつり、その成長とともに必要に応じて肉体を鍛え、数々の発明品を通じて金を稼ぎ、旅をし、仲間を捜し、そして、彼らだけの植民地をつくろうとする。しかし、彼らだけの植民地は結局は人間の手によって滅ぼされるのだ。
 彼らの心の動き、感情の動き、動機のありようについて、語り手はとまどいながらも、人間とは違う、より高次の存在としてジョンとその仲間と接し続ける。その最後の日まで。

 本書が書かれたのは、1934年である。世界恐慌が置き、ナチスがドイツで台頭し、第二次世界大戦に向かって世界中が不安の中にあった。本書からは、その当時の不安と絶望と人類への希望を読みとることができる。
 ドイツの混乱、避けられない第二次世界大戦と、破滅的な相互破壊の予感。それは的確な時代認識である。その時代に、結果的には滅ぼされてしまう人間を超えるものを登場させることで、人間が失いかけているものを明らかにする。
 もちろん、人間を超えるものは、反道徳的であり、非倫理的である。だが…それがどうしたというのだ。彼らは人間を超えるものなのだ。彼らの論理、彼らの精神、彼らの動機を我ら人間が何を語れようか。しかし、だからといって、人間と人間を超えるものは対立軸であったり、どちらかが滅ばなければどちらかが生き残れないというものでもない。
 その問いかけを残したまま、オッド・ジョンは死んでいく。

 このテーマは、SFの定番であり、永遠のテーマであろう。
 人間が、人間を超えるもの、あるいは、人間と対置する人間ではないものに出会うまで。

 それにしても、「現在この惑星を支配している16億もの不格好な動物」(67ページ)だったのだ、この当時は。今や64億人である。まだ、100年も経っていない…。


(2004.9.29)





TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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