はるの魂 丸目はるのSF論評


ボシイの時代

THEY'D RATHER BE RIGHT

M・クリフトン&F・ライリイ
1957


 ヒューゴー賞第二回受賞作品で、発表当時、アメリカSF界では非常に人気が高かった作品である。テレパシー(新人類)、人工知能、不老不死の三題噺。日本に翻訳されたのは、1981年、創元推理文庫SFである。おそらく、入手困難な作品。
 原爆投下から40年、つまり1985年頃か。管理社会のアメリカで、ボシイと呼ばれる人工知性(コンピュータ)が開発された。ミサイルの誘導システムとして開発されたはずのボシイは、善悪の判断ができる人工知性体であった。政府は、ボシイを開発した研究者と、ボシイそのものを害悪として追いつめた。大衆はメディアにより政府に自由にコントロールされていた。
 実はボシイの開発と、研究者の逃亡の成功には、知られざる唯一のテレパシストの存在があった。彼は、ボシイに社会学、心理学的解決を求めることで、人間を新たな段階、柔軟なストレスのない生命体に発達させ(治療し)、その結果テレパシー能力を持つ仲間ができないかと期待していたのだ。期待に違わぬ能力を発揮したボシイ。ボシイの心理学的治療を受けた、元々柔軟な思考を持つ素養のあるものは、その治療により、すべての細胞が活性化され、若返りと同じ効果を得て、不老不死さえも得ることができたのだ。
 政府は、人々は、権力者は、そのボシイの能力に気づき、一騒ぎを起こす。
 彼らは、人類を善なるものへ、次なるものへ進化させ、ボシイとともに歩ませるために、新たな一計を案じるのであった。
 最後の落ちを除くと、だいたいそんなところである。
 話は古くさく、教条主義的かつ、科学の正義という夢にあふれ、人類のパートナーとなる人工知性は何でも解決してくれる。輝かしき50年代である。しかし、そこに書かれている社会はメディアが大衆を操作し、政府がなにもかもを管理する暗澹たる世界である。

 とても、今に、似ている。

 情報を即座に、求める者には与える人と人との間のネットワークシステムはあるが、善と悪は混乱し、融合し、腐敗し、澱のように人々の心の奥に沈殿している。
 あるものたちは、世界を自らの道具として狭く考え、すべてを手にしようと望む。
 あるものは、そのことに気づきながらも、大きな力の前に沈黙を保つ。
 あるものは、そのことに怒り、刃を向いて立ち向かう。
 どこにも、ボシイはいない。
 まあ、善悪を判断する機械など、いて欲しくもないが。

 そうそう、世界を正そうという野望を持った大実業家で、政治力もある男が出てくる。ハワード・ケネディという。ジョン・F・ケネディは、1952年に上院議員になり、その後闘病生活に入り、ピューリッツァ賞を受賞したノンフィクション「勇気ある人々」を出版したのち、1955年に38歳で上院議員として返り咲いた。ハワード・ケネディは、JFKをモデルにしているのだろうか。そんなにおいもある。

ヒューゴー賞受賞

(2004.11.29)



TEXT:丸目はる
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