はるの魂 丸目はるのSF論評


デューンへの道 公家コリノ

DUNE HOUSE CORRINO

ブライアン・ハーバート、ケヴィン・J・アンダースン
2001


「デューン」は大河ドラマである。それは、「三国志」「ローマ帝国の興亡」などとも共通する、歴史物語であり、人の物語である。書かれた内容もさることながら、それに携わる作家や訳者の物語も、あるいは読者のそれもまた興味深い。
 本書は、デューンシリーズの続編である。本編「砂の惑星」の主人公であるポウル・アトレイデの父親レト公爵の子ども時代から、ポウルが生まれるまでを描いた、「前史」三部作の最後となる。デューン・シリーズを紹介するのはこれがはじめてになるので、ここで現在までに日本に紹介されている作品をあらためて時系列に並べておこう。
 デューンへの道 公家アトレイデ 1999
 デューンへの道 公家ハルコンネン 2000
 デューンへの道 公家コリノ 2001
 デューン 砂の惑星 1965
 デューン 砂漠の救世主 1969
 デューン 砂丘の子供たち 1976
 デューン 砂漠の神皇帝 1981
 デューン 砂漠の異端者 1984
 デューン 砂漠の大聖堂 

「デューンへの道」3部作は、「デューン」の作者フランク・ハーバートの死後、そのメモを元に、息子であるブライアン・ハーバートと、ケヴィン・J・アンダースンが、プロジェクトを組み、続編を書くための準備として書き表したものである。
「デューン」シリーズも、初期の3部作と後期の3部作はずいぶんと趣を違えている。初期3部作でも、とりわけ本編である「砂の惑星」は、他の作品群と大きく異なる。
 が、実は、このうち、「砂漠の大聖堂」は未読である。
 今も覚えているのだが、ちょうどはじめて就職してバブル経済末期の忙しい日々を送っている頃に出され、本屋に並んでいるのをみて、買おうかと迷ったのだが、その前作までを実家に送っていて、手元になかったため、買うのをやめた。それというのも「砂漠の神皇帝」以降の皇帝レトの話があまりおもしろくなかったからである。今思えば、残念なことをした。なんとかして読みたいものだ。

 さて、なかなか本書に行き着けないが、「砂の惑星」について書いておこう。手元にあるのは、昭和47年発行、昭和54年(1979年)第13刷版である。ちょうど、完結編と言われた「砂丘の子供たち」が翻訳出版されたころで、買ったのが中学3年か高校1年のころ。はまるにはちょうどいい時期だった。表紙・挿絵はもちろん、石森章太郎(当時)。
 本文にある“恐怖は心を殺すもの。恐怖は全面的な忘却をもたらす小さな死。ぼくは自分の恐怖を直視しよう。それがぼくの上にも中にも通過してゆくことを許してやろう。そして通りすぎてしまったあと、ぼくは内なる目をまわして、そいつの通った跡を見るんだ。恐怖が去ってしまえば、そこにはなにもない。ぼくだけが残っていることになるんだ”という、本シリーズでは繰り返し出てくる言葉に、わざわざ線を引いて記憶しているぐらいである。
 なにをやっているんだか。

「砂の惑星」に書かれる惑星アラキスの水がほとんどない環境での生態学、砂虫と香料スパイス(メランジ)の深い関わり、砂漠の民フレーメンの生活、思考、行動などなど、作者フランク・ハーバートが世界を丸ごと生み出した。多くの人が、砂の惑星に入り込み、その背景世界である帝国と皇帝、大公家、宇宙協会、協同公正重商高度推進公社の勢力争い、陰謀の中の陰謀に引き寄せられ、ベネゲセリット(魔女)、メンタート(人間電算機)、武器師範(ソードマスター)ら魅力あふれる異能者たちや、鳥型飛行機(ソプター)や大宇宙船(ハイライナー)、シールド、サスペンサーといった技術の数々に魅惑されたのだ。
 ソプター、サンドウォームは、宮崎アニメに出てくるガジェットを彷彿とさせる。
 宗教や精神、議会や帝国、賢者といったあたりに「スターウォーズ」も感じさせる。
 世界のSF界、文学界、環境生態学などに大きな影響を与えた作品こそ、このデューン「砂の惑星」である。

 その世界が、デューンへの道となって帰ってきた。ハルコンネン男爵がいる。彼は、なぜ、あれほど醜くなってしまったのか? 公爵レト・アトレイデの父ポウルスはどんな男だったのか? レトは、どうして「正義の人」になったのか。皇帝シャッダム・コリノはいかにして皇位についたのか。どのように、「砂の惑星」をとりまく世界が生まれ、社会の緊張が高まったのか? その多くの謎が明らかにされる。
 なつかしい名前が、若くなって帰ってくる。ガーニイ・ハレック、ダンカン・アイダホ。リエト・カインズが生まれ、ジェシカが生まれ、イルーランが、チャニが生まれる、あのモヒアムさえ、若く登場するのだ。
 彼ら、彼女らひとりひとりの物語よ。それこそが、デューンである。主人公だけではないのだ。登場するひとりひとりが、考え、動き、企み、怒り、悲しみ、愛し、憎み、そして、隠された目的を持つのだ。そのひとりひとりが、あまたの宇宙世界とつながっている。
 その意図は、父であるフランク・ハーバートから、息子のブライアン・ハーバートに確実に受け継がれている。そして、ひとりのファンとして、父が残した謎を、ファンとともに解き明かし、広げていくのがブライアンの仕事である。

 さて、本書「ハウス・コリノ」をデューンシリーズの最初に評するのには、ひとつ、大きな理由がある。翻訳者矢野徹の訃報が2004年10月にもたらされた。「デューンへの道」3部作の最終巻である「公家コリノ」3巻が8月に発行されて間もない時であった。
 最初の「砂の惑星」から、「公家コリノ」まで、すべてを、私は矢野徹訳によって楽しませていただいた。先の「恐怖は心を殺すもの」も、矢野訳の名調子である。
 私の少年期、青春期は、矢野徹の窓を通してアメリカのSFを、宇宙を見ることができたのだ。デューンだけではない。さまざまな作品がある。しかし、デューンは、矢野氏の「遺作」となり、かつ、彼が書いてるように足かけ34年のつきあいのある作品なのだ。私もまた、25年間、デューンとつきあい、多くのSFと出会うことができた。そのことを幸いに思い、矢野徹氏への感謝の気持ちがたえない。
 ご冥福をお祈りします。

 2003年12月から、再読を中心に、SF評を書き始めたが、すでに読んでいた本シリーズの中で、ちょうど、この間に出版された「公家コリノ」は読まないままに積んであった。3巻の訳者あとがきで、矢野氏の読者への惜別の辞のようなものは読んでいたものの、まさかこれが最後の訳書になるとは思ってもいなかった。
 訃報を聞き、それでもしばらく考えていたが、やはり、2004年の内に、デューンとハーバート親子と、矢野徹について触れておきたかった。

 デューンシリーズを読むならば、今ならふたつの読み方がある。
 まず、デューンの道を読み、それからデューンに入る道と、先にデューン「砂の惑星」を読み、それから、あとに続くデューンを読むか、デューンの道を楽しむかという道である。道は、いくつもに分かれ、未来は予見できない。
 ならば、自分が信じた道を行くだけである。


(2004.12.8)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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