はるの魂 丸目はるのSF論評


テラプレーン

TERRAPLANE

ジャック・ウォマック
1992


 2023年、「ヒーザーン」から25年後の未来。「ヒーザーン」ではポストモダン思考と言葉で物語の脇を固めたジェイクも立派なボディーガードに育っている。ロシアは義務消費体制で経済を活性化させ、アメリカをドライコ・コーポレーションが支配するように、ロシアもまた私企業の元に支配されていた。
 そのロシアで、ニコラ・テスラばりの発明があり、ドライコからその秘密を探り、入手すべく主人公の黒人男性ルーサーがジェイクに付き添われて訪れる。
 秘密を奪取したものの、逃げ場を失い、発明者の助手の研究者オクチャブリーナらとともに、装置を作動させた。行き着いたところは、1939年。20世紀になるまで黒人は奴隷のままで、いまだ差別が激しく、フランクリン・ルーズベルトは暗殺され、不況のままに、ヒットラーのみが台頭しつつある「もうひとつの」1939年だった。
 中年黒人男性、白人だが、ポストモダン語しか話せないあやしいボディーガード、ロシア人の女…、この3人を救ったのが、黒人医師のドクだった。ドクは、黒人が迫害されない自由で、希望に満ちた未来を夢見ていた。
 ジェイクとオクチャブリーナのぎこちない恋愛。
 ドクと妻のアリス。
 そして、わたし=ルーサーと、それぞれの人物たちの異質な、異質故の関わり、ふれあい、そして、希望。
「ヒーザーン」に比べれば、わかりやすく、読みやすい話である。そして、とても、せつない。

 2004年の現在、911以降、ふたたび顕在化した大きなシステムによる人々への支配と暴力の構図の中に生きるとき、本書は二重の既視感を与える。主人公ルーサーが見たもうひとつの1939年は、現実世界の悪夢をすこしだけ強調したものにすぎない。
 ルーサーは、その悪夢の中で2023年への帰還を夢見てはばからない。そして、ドライコの庇護を母の恩寵のように願うのだ。「ヒーザーン」で、ドライコ(初期)の中枢にいた主人公ジョアナが、ドライコの庇護に息苦しさを覚えるのとはまったく対照的である。
 その2023年は、冒頭に書いたとおり、超巨大多国籍企業による国家と経済、社会の支配の構図にある。わたしが、いや、19世紀から20世紀前半にかけて、世界中の人々が恐れた独占企業による支配が、より洗練され、徹底されて実現しているのだ。ルーサーと違い、わたしは、その2023年にも恐怖する。
 そして、気がつくのだ、ドライコの2023年と、もうひとつの1939年と、今、わたしが生きる2004年との間に、それほど大きな差はないことを。

 さて、原題である。テラプレーンとは、1930年代にアメリカではやった車のブランド名。よくギャング映画などでお目にかかるあれである。前のエンジン部分が長く突き出すようで、美しいデザインに仕上がっている。
 ハドソン・テラプレーンとか、ハドソン・エセックス・テラプレーンとも呼ばれる。
 アメリカのハドソン社が1932年に発表した6気筒、8気筒の車で、経済的な走りと、丘も楽にのぼる実力、当時のスピードレコードを持つ車だったという。
ちなみに、本書に登場するロバート・ジョンソンが「テラプレーン・ブルース」を歌っているが、これもハドソン社のテラプレーンのボディを女性に見立てたもの。おしゃれな車だったのだ。

 本書もまた、絶版のまま、続編も翻訳されることなく放置されている。
 存在しなかったもののように。


(2004.12.23)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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