はるの魂 丸目はるのSF論評
スローターハウス5
SLAUGHTERHOUSE-FIVE
カート・ヴォネガット・ジュニア
1969
本書の主人公、ビリー・ピルグリムは、著者と同じ1922年生まれ。1986年に死亡。“「1986年2月13日に死ぬのであり、常に死んできたし、常に死ぬであろう」”
この本書を、1986年に広島で私は読んだのであり、常に読んできたし、常に読むであろう。2004年にも読んだのだ。
1980年代は、フィリップ・K・ディックやカート・ヴォネガット・ジュニアがSFではない人たちにも読まれた時代だった。
1980年といえば、その年の暮れに、ジョン・レノンが殺された。12月8日、日本がパールハーバーに攻撃を加えてから39年後のことである。
911以降、ジョン・レノンのイマジンはアメリカの大手メディアで自粛され、流されなかったという。大手メディアは何を想像(イマジン)したのかしらん。
スローターハウス5とは、屠殺場5号棟というような意味。ドイツのドレスデン1945年に、ビリー・ピルグリムはそこにいた。捕虜として。殺されるためではない。家畜をと殺するところである。もう家畜がいなかったから、使う必要のない屠殺場を有効利用したのだ。ナチスドイツ=虐殺ばかりではない。戦時捕虜は捕虜として扱われるのだ。
1945年2月13日夜、ドレスデンは激しい空爆にさらされた。もちろん、イギリスとアメリカの戦闘機である。
ビリー・ピルグリムは生きていたし、カート・ヴォネガット・ジュニアもまた生き残った。
ドレスデンは壊滅し、13万人以上が死んだ。ある数以上は、人は数えなくなるらしい。20万人という説もある。
1960年代まで、ドレスデン空爆は隠されていた。
生き残った人間には、隠されることはない。
本書はSFである。宇宙人も出てくる。
トラルファマドール星人には、“人間は長大なヤスデ−−「一端には赤んぼうの足があり、他端に老人の足がある」ヤスデのようにみえる”。
私には、自分の端も、人の端も老人の足の方の端は見ることができない。
ただ、死んだ人だけは、そこが端だということがわかる。
たくさんの人が死に、死に続ける。
ビリー・ピルグリムは、トラルファマドール星にとらえられた時期がある。44歳の頃だ。そこで、子をなしている。
1948年、ビリー・ピルグリムは、エリオット・ローズウォーターと病院で出会う。ここで彼はカート・ヴォネガット作品に欠かせないSF作家キルゴア・トラウトの作品と出会う。キルゴア・トラウトの作品は、ヴォネガットのようには売れていない。
1964年、ビリー・ピルグリムは、キルゴア・トラウトとも出会う。18回目の結婚記念パーティーに彼を招待した。
ビリー・ピルグリムは、地球とトラルファマドール星で結婚し、子どもをなした。
誰も殺さず、殺された。
なぜか知らないけれど、わが家には、文庫版の初版で表紙が映画の1シーンになっているものと、1986年2月28日版で和田誠が表紙を書いているものがある。
何回かは、読んでいるらしい。
今、また読む。
トラルファマドール星人にはどう見えるのだろう。ヤスデの数カ所で、同じ本を手に取るのは。
本は何度も読むことができるが、死ぬのは1度だけである。生まれるのも。
911以降、世界はややこしくなっているが、これもまた、繰り返しである。
だからといって、今殺された人間は、はじめて死ぬのであり、それまでは死んでいなかったのだ。
911以降に、カート・ヴォネガットを読むのはいいことかも知れない。
本書に出てくるトラルファマドール星人は、その後、テッド・チャンのヘプタポッドになったのかと思わせる。「あなたの人生の物語」は、戦争の話ではないが、読んでみるとよい。
(2004.12.28)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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