はるの魂 丸目はるのSF論評


パーマー・エルドリッチの三つの聖痕

THE THREE STIGMATA OF PALMER ELDRITCH

フィリップ・K・ディック
1964


 本書には、ディックのすべてがつまっていると言っても過言ではない。
 私は、本書が大好きだ。何度読んだかわからない。
 そして、読むごとに、書かれていることが心にすうっと入り込んでくるようになる。
 年を取るごとに、書かれていることが実感される。
 世界が変化しているのか、自分が変化しているのか。それらはどちらも同じことなのか。

 ディックが書いているとおり、本書のすべては本文の前に書かれている一文にある。
「つまりこうなんだ結局。人間が塵から作られたことを、諸君はよく考えてみなくちゃいかん。たしかに、元がこれではたかが知れとるし、それを忘れるべきじゃない。しかしだな、そんなみじめな出だしのわりに、人間はまずまずうまくやってきたじゃないか。だから、われわれがいま直面しているこのひどい状況も、きっと切りぬけられるというのが、わたしの個人的信念だ。わかるか?」

 時は21世紀初頭。地球は世界的な気温上昇に苦しんでいた。政府は、無作為に他星系や惑星への移民を行っている。火星はそのひとつ。しかし、地球に帰ることの許されない移民たちは、火星でなにもかもがだめになっていくのを無為にながめ、政府からの援助物資にすがって生きていた。そして、キャンDとパーキー・パットの人形セット。パーキー・パットの人形セットを眺めながら違法なキャンDをなめれば、そこにいるすべての男女が、パーキー・パットとそのボーイフレンドに移入し、ぜいたくな地球の暮らしを仮想体験できる。それだけが彼らの楽しみ。もしくは、新興宗教に没頭するほかない。
 キャンDとパーキー・パットの人形セットは、どちらも、PPレイアウト社の商品。表と裏。仕切るのは、医学により未来人に進化したレオ・ビュレロ。決して立派な人間ではない。私利私欲で怒りっぽく、わがまま。冒頭の一文は、彼の言葉である。
 ある日、パーマー・エルドリッチが、プロキシマ星系から帰ってくる。右手は付け替え可能な義肢、歯はステンレスストーンの義歯、目ははめ込み式の顔を横切る人工グラス。彼は、キャンDに代わるチューZを地球にもたらそうとしている。
 ビュレロは、自らの経済基盤が崩れるのを恐れ、パーマー・エルドリッチの殺害も含めて様々なたくらみを講じる。
 しかし、チューZとパーマー・エルドリッチには隠された秘密と目的があった。
 翻弄されるレオ・ビュレロと、主人公のプレコグ(未来予知)者バーニー・メイヤスン。彼は常に名を間違えて呼ばれる男。
 パーマー・エルドリッチの現実に取り込まれ、真実を、現実を見失いながら、そこに真実を、現実をみいだすメイヤスンとビュレロ。ふたりの行動はあまりにも違った。
 真実とは、真理とは、正義とは。
 神性とは?
 疎外と、ぼやけた現実と、絶望というパーマー・エルドリッチがもたらした邪悪な3つの陰性に対し、人は何ができるのか?

 常に、すべての作品を通じて、疎外、ぼやけた現実、絶望と向き合ってきたディックが、もっとも素直に、その3つに対して戦いを挑む人間の存在に真を置いた作品である。

 私は、世界が、人間が信じられなくなったとき、本書を読むことにしている。
 もっとも本書は、ユーモアとSFガジェットにあふれる、ディック的なエンターテイメント作品である。肩の力を抜いて読んで欲しい。

(2005.1.4)




TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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