はるの魂 丸目はるのSF論評


都市と星

THE CITY AND THE STARS

アーサー・C・クラーク
1956


 クラークは偉大だ。再読して、あらためてそう思う。何億年も先の地球に唯一残された都市、ダイアスパー。人々は1000年ほど生き、そして、次の眠りにつく。生まれたときからほぼ成人の姿で、最初の20年は子どもとして扱われ、都市に再びなじみ、過去の記憶を思い出すための時間として存在する。個人の情報はすべてメモリー化され、セントラルコンピュータが都市を管理している。
 都市には伝説があった。かつて、地球人類は広大な宇宙に進出し、帝国をなしていたが、異星人によって帝国を崩壊させられ、地球に逃げ戻ったのだ、と。
 だから、ダイアスパーの住民は決して外へ出ようとはしない。外のことを考えるだけで恐怖におびえてしまう。
 地球の、ダイアスパーの外は砂漠が広がっていること以外、誰も外を知ることはない。
 ただ、平和に、暮らしていた。
 時には、仮想現実ゲームに興じながら。
 そこに、今まで一度も誕生させられたことのない、つまり、過去の記憶を持たないユニークな青年アルヴィンが誕生する。物語は彼が20歳を迎えるところからはじまる。
 仮想現実ゲームでは、そのルールをやぶって仲間たちのひんしゅくを買うアルヴィン。
 自分が、他者と違っていることは知っていても、それがどんな意味を持つかはわからない。ただ、ダイアスパーで生きることが息苦しくて、孤独でならない。
 なぜ、彼ははじめた誕生させられたのか?
 当然のことながら、彼は外を希求する。
 そして…。

 1956年発表である。クラークがはしがきに書いている通り、本書は、1953年に発表されたクラークの処女長編「銀河帝国の崩壊」Against the Fall of Night の書き直しだ。クラーク曰く「この物語を思いついて以来20年間に起こった科学の進歩」「とくに情報理論における一定の発展」を受けて書き直したかったという作品であり、イングランドからオーストラリアへの船旅の途中で書き上げられた。
 個人の存在すべての情報化と再生、この場合、仮想空間ではなく、実体化であるが。さらには、登場する仮想現実ゲームや、自分は部屋にいながら仮想存在としてダイアスパーを動き回る様。必要に応じて生成される家具。思考を壁に投影して描かれる絵画は、必要に応じてコンピュータから呼び出すことができる。
 今でこそ、仮想現実ヴァーチャルリアリティやシミュレーション、コンピュータを利用したデータの自由な保存と再生、データからの実体形成などは、SFとして当たり前になっており、また、遠くない未来に実現するテクノロジーとして企業社会では議論され、稚拙ながらも導入されている。が、1956年である。
 真空管コンピュータからトランジスタ使用のコンピュータが登場しはじめた頃の話である。コンピュータの利用について、情報の利用についてここまで小説化することができたクラークは、やはり偉大だ。
 もちろん、それだけではない。さまざまなアイディアに満ちた作品である。

 とはいえ、もちろん古さもある。
 ここに書かれたイメージは、ちょうど、光瀬龍の小説を漫画化した萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」や萩尾オリジナルの「スターレッド」を思わせる。私の今回の再読は、どうも頭の中は萩尾望都キャラクターと風景の世界で読んでいたようだ。
 どちらもはじめて読んだのが、同じ頃だったからだろうか。それとも、「百億の昼と千億の夜」は本書に触発されて生み出されたのだろうか。

 さて、せっかく本書を読んだのだから、このおおもとである「銀河帝国の崩壊」を再読してみよう。

(2005.1.7)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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