はるの魂 丸目はるのSF論評


太陽の炎

A FIRE IN THE SUN

ジョージ・アレック・エフィンジャー
1989


「重力が衰えるとき」の続編。パパ・フリートレンダー・ベイは、イスラム圏の大都市の歓楽と犯罪の街ブーダイーンの真の支配者。しかし、それだけではなく、世界経済が崩壊し、大国が存在しなくなり、小国が次々と生まれては崩壊する世にあって、イスラム世界の半分を経済・情報的に支配する男でもあった。前作ではいちおう自由人だった主人公マリード・オードラーンも、いまやパパの配下にあり、パパの邸宅で暮らし、パパの意向を受けて警察署に出勤する。ブーダイーンの友人たちは、そんな彼をもはや仲間とは見なさない。マリードの影にパパあり、だ。
 マリードの母親が登場し、マリードの頭を痛める。
 パパの娘と名乗る女が登場し、やはりマリードの頭を痛める。
 パパがくれたプレゼントは、数少ないブーダイーンの友人が経営していたクラブの経営権。マリードは頭を痛める。
 パパがマリードの世話をさせるためにつけた奴隷は、マリードの言うことを聞いてくれない。マリードは頭を痛める。
 頭は痛くても、ベテラン警官と一緒にパトロールに出かけなければならない。
 遊びは遊び、仕事は仕事。それがこの街の定めだから。
 たとえ警官になっても、マリードは、マリード。ドラッグと人格モジュールと酒の力に頼りきりながら、萎える心に時々鞭打って、やるべきことをやろうとする。彼なりの誠意を持って。
 本書に出てくる登場人物には、必ず表と裏がある。愛のすぐそばに憎しみが、信頼の隣に裏切りが、親愛の右に暴力が、冷静さは発作的な怒りに変り、情熱が冷酷と同居する。マリードしかり、パパしかり。人間には必ず二面性があり、そのどちらかに揺れ動きながら進むもの。
 前作の最後に、何もかもを奪われたマリードは、与えられた状態に満足と不満足をみつけ、奪われたなにがしかをとりかえそうとあがく。人間の弱さに満ちたマリードは、それでいて魅力あふれる主人公である。
 次作、「電脳砂漠」は、本シリーズの長編最後となる傑作であり、本作品は、「重力が衰えるとき」と「電脳砂漠」にはさまれた佳作となっているが、「電脳砂漠」を読むためにも、本作をはずすことはできない。
 異文化の魅力あふれるハードボイルドSFを、あなたの本棚に。

(2005.1.16)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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