はるの魂 丸目はるのSF論評


バベル−17

BABEL-17

サミュエル・R・ディレーニイ
1966


 本書「バベル−17」は高校生の時に購入し、読んだ1冊である。タイトルには記憶がある。しかし、内容にはまったく記憶がなかった。ハヤカワSF文庫の新刊で「アグレッサー・シックス」(ウィル・マッカーシイ)があり、購入して先にあとがきを読んだら、そこに、「バベル−17」にも似ているとの紹介があり、では、先に本書を読もうと思った次第である。

 本書の内容は、遠い未来、人類は宇宙に広がっていた。そして、いくつかの異星人勢力とは友好的な関係を結び、いくつかの異星人の勢力と果てしない戦いを続けていた。
 戦況は思わしくなく、いくどかの経済封鎖によって厳しい生活を強いられていた。
 今、人類は、内部破壊者による攻撃に悩まされていた。その際に交わされる「暗号」である、バベル−17の解読こそが求められていた。難攻不落のバベル-17を解読すべく白羽の矢を立てられたのが、かつての暗号解読のプロで人類世界に名だたる詩人の若き美女リドラ・ウォン。彼女は、バベル−17が暗号ではなく、言語であることに気がつき、その言語を理解しようとする。それは、言語で思考すること。そして、バベル−17で思考することには恐るべき効果があった。
 牙や蹴爪をつけたり、獣や龍のように人体を改造するのが特殊ではない社会。
 死んでも霊体として保存され、その精神機能を活かすことができる社会。
 超静止空間へのジャンプを利用した遠距離通信、遠距離移動システムのある社会。
 1966年に書かれた作品だが、人体改造、バーチャル人格など、今のSFと違和感なく読み進めることができる。
 本書は、「言語」と「思考」「行動」をテーマにした作品であり、言葉を持つこと、使うこと、あるいは、「名前」をつけることや、「わたし」「あなた」といった抽象化された主体にあてられる「単語」が大切な作品の要素となっている。
 そうなるととても難しそうだが、主人公リドラ・ウォンは、あらくれの宇宙船乗りたちを軽くあしらい、激しいアクションあり、宇宙戦闘ありの活躍ぶりで、とても20代前半の詩人というイメージではない。作品の紹介にも「ニュー・スペース・オペラの決定版」などと書かれているぐらいである。
 言葉についての洞察がそのまま作品の動きとなって反映されるため、知らず知らずのうちに「言葉」について考えさせる内容となる。よくできた作品だ。

 どうして、わたしは、わたしのことを「わたし」と呼び、わたしは、あなたのことを「あなた」と言うのに、あなたは、あなたのことを「わたし」と呼び、あなたは、わたしのことを「あなた」と呼ぶのか。

 考えたこと、ありますか?

ネビュラ賞受賞作品

(2005.4.17)





TEXT:丸目はる
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