はるの魂 丸目はるのSF論評
渚にて
ON THE BEACH
ネビル・シュート
1957
本書は、1957年に発表され、1957年に「文藝春秋」で要約が出され、1958年に同社より原著の一部分をカットして単行本化された。1959年にはアメリカで映画化。その後、1965年に東京創元社によって全訳が刊行される。現在まで版を重ねており、核戦争後、人類が滅んでいくまでを書いたディストピア、破滅ものSFの傑作として今も読み継がれている。
本書の執筆時期は、いわゆる「冷戦」のまっただ中であり、米ソの対立、中ソの対立、中東問題、東欧問題など、第二次世界大戦後に残された大きな国際間の緊張がふたたび高まった時期である。
と同時に、1945年8月にはじまった「滅びの予感」である核戦争の恐怖が、米ソを中心とする核兵器開発保有国の実戦配備の発表によって現実のものとされ、目に見えない「放射能」への恐怖が世界中に信じられていた。
映画の方は、テレビでもなんどか放映され、その内容はともかく題名は、SF読者でなくとも耳にしたことがあるのではなかろうか。
本書では、1960年代に北半球で全面核戦争が勃発する。アメリカ、ソヴィエト、中国、イギリス、フランス、アルジェリア、イスラエル、エジプト…。核を保有する国が、その核兵器をすべてあらゆる国に対して投じたかのような戦争は37日で終結し、少なくとも4700発が「敵」に投下された。おもに「きれいな」水素爆弾が使われただ人が死んだだけで多くの建物などは残った。しかし強い放射能によって北半球の動物は人類を含めてほぼ死に絶えた。それから2年。生き残った南半球にも徐々に放射能が降りてきて最後の日を迎えようとしていた。オーストラリアの人々は、終わりの日に向かってできる限り日常を営もうとする。
そんな話である。
まあ、放射能が地球全体を覆うのが2年以上ということや、強い放射能によって3日あるいは10日で下痢などコレラ的な症状で死んでしまうという設定。あるいは、南半球のオーストラリアやアフリカ、南米などが無傷というのは、1950年代当時ならいざ知らず、21世紀の我々には無理な設定である。
しかし、1945年8月6日に広島で原子爆弾が殺傷と破壊を目的に投じられて以来、人類は今も変わらずに人類を何度殺しても飽き足らないぐらいの殺傷力と強い放射能を持つ核兵器を保有し、それはもはや大国のみならず、小国でも、あるいはちょっとした技術力を持つテロリストでも簡単に持つことができる。
また、1973年のスリーマイル島や1986年のチェルノブイリ以降、核兵器だけでなく、平和利用の原子力発電所でさえも十分に人々の生活を奪うことを知った。
そして、人間がなかなか死なないことも。
本書では、静謐な死が語られる。そこには広島の黒こげの人影も、ただれた皮膚も、その水を求める苦しみの声も、いっさい存在しない。死は、ごく一部の潜水艦兵士が見た遺体であり、それは原子爆弾のせいとは言えない、静かで、見た目には美しい風景でしかなかった。
生きて、死を見つめる側の南半球でも人々は静かで、風景は美しく、その擬似的な清潔さが、この物語に、迫真を与え、核の恐怖を与えている。
しかし、核兵器の恐怖は、その程度のものではないことも、また事実である。
人は誰しも静かな死を望む。たとえ走りながら死ぬのであっても、生と死との間の苦しみはあまり考えない。
身体の表面を焼かれ、あるいは髪の毛がごっそりと抜け、あるいは神経や感覚器官に恒久的障害が残り、常に体調の変異に苦しみ、生きることそのものが苦痛であるなかで生き続けることの、人が人であることの痛みまでは書かれない。
きっと、それを書いたならば、本書はこれほどまでに評価され、歴史に残ることはなかったであろう。静かな美しさの中の恐怖、死、絶滅、そして、人類が自ら知る、自らの愚かしさを描いたからこそ、本書は「名著」であり続けるのだ。
しかし、今、「冷戦」が終わり、「正義」のみがふりかざされる今だからこそ、あえて書こう。
今もまだ戦争は終わっておらず、核兵器の数が削減されたからといって、60億にも増えてしまった私たちのすべてと、その居場所を奪うに十分以上の核兵器は機能しており、原子力発電所の事故などによるリスクは高まる一方であり、今が10年前、20年前、30年前、40年前以上に美しいわけでも、理性的になったわけでもないということを。
一見きれいになった空が、一見美しくなった川や海が、ひそやかに、急速に、かつての目に見える形での「きたなさ」よりもずっと「きたなく」なっていることを。
そして、それらを描き出す時代ではなかった本書に、現代を語るすべはないことを。
それでも、なおかつ、本書は「名著」であり、冷戦時代に多くの人々に対して「考えろ」とつきつけ、実際に考えさせることができた作品である。
その価値は今も減じてはいない。
本書登場から約50年、1945年夏から60年となる今、私たちはやはり核兵器の地上に落ちた太陽ほどの爆発、放射能汚染に対し、どのように対するのか、それを「考えろ」と迫る一冊であることは間違いない。
(2005.4.30)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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