はるの魂 丸目はるのSF論評
タフの方舟(2 天の果実)
TUF VOYAGING
ジョージ・R・R・マーティン
1986
承前である。本来は1冊にまとめられた連作短編集を日本で分冊にしてあるのだから、特に評することもないのだが、前作を読んだ段階で一度評してしまったため、後編も少しだけ語ることにしよう。
本書には、後半4話が載せられており、うち2話が新しく1985年に発表されたもので、2話が1976年、78年の初期作品である。初期作品2作を読むと、主人公のタフさんがいかにあこぎか、ていねいに、しつこく描かれており、素直に楽しめる。
新しい2話は前作の第2話と同じ惑星を描いており、テーマは人口問題である。
新たな食料供給手段を提供しても、人口抑制措置をとらない限り増え続ける惑星の人口。すでに、農業や工業的食料増産手段も限界を迎えつつあったが、産めよ増やせよ地に満ちよという宗教観、世界観の前にはなすすべがなかった。
タフさんは、タフさんなりの合理的精神と今生きているものの生命は尊重するという価値観からある解決策を思い立ち、それを提示する。周辺5惑星との全面戦争の道か、間近に迫る飢餓と暴動と文明崩壊の道か、それともタフさんの提示を受け取るのか、選択できるいずれの道も茨の道である。この選択は、もはや人の選択ではなく、「神」のしかも思いっきり「禍つ神」の選択である。あなたなら、どんな選択をするだろうか。
10年以上前に私に向かって冷たい目の人がこう言い放った。「つまるところ環境問題の最大の問題とは人口爆発である」と。エネルギー問題も、食糧問題も、自然破壊も、資源の乱獲も、地球温暖化(当時はまだこの表現ではなかったが)も、結局のところ、増え続ける地球人口によって発生しあるいは抑制が困難になっているのは事実である。また、今日的問題である水不足、国際紛争の多発、エイズの蔓延、新たな伝染病なども、土地や食料や資源の再分配に係る問題であったり、都市機能が流入人口によって麻痺したり、新たな農地開拓による生態系の擾乱によるものであったりしている。個別問題としての環境問題や食糧問題、エネルギー問題に対しては、それぞれに当面の対応策と方向性、それに向けた世界観、価値観の変更が示されているものの、人口爆発に対しては、これといった対策がとられていない。
世界でも例のないほど急速な高齢化と少子化を迎えている日本だが、この背景には、移民を決して認めないという変わらない閉鎖社会があることは、今もまだ発展途上国的な人口構造をみせるアメリカをみれば明かであり、ヨーロッパ諸国との対比でも差を認めることができる。今や日本という国家にとっては、日本民族を増やすことが政策課題になっているが、これはとても視野の狭い見方であると言えよう。それでも、子どもを増やす=産み、育てるという実際の行動をとらなくても、この世界観を共有するものが多いのは、我々が日本という世界観を共有しているからである。だから、視野が狭いのだが。同語反復に陥るだけだ。
世界全体に目を向けてみれば、人口爆発は予想よりゆるやかであっても引き続き起こっている。そもそも、現在に至るまで人類は一度たりとも食料や資源の再分配を適正に行ってきたことはなく、常に一方に飽食と傲慢なほどの貪欲を抱え、片方には貧困と飢餓を抱えてきた。現在でさえ、食料は全人類を十分に生かすだけの量を持つが、分配は偏在している。そして、人口は増え続け、食料をはじめとする資源の地球上での生産には限界を感じている。
あと、どれくらいの時間を持つのだろう。
あと、どれくらいの人口を養えるのだろう。
養えないとすれば、誰が飢え、誰が死ぬのだろう。
それを選ぶのは誰だろう。
誰にならば、残酷な選択をまかせられるのだろう。
それとも、それは誰かにまかせることではないのだろうか。
10年以上前に私に「人口問題」を本質と語った人は、その解決について何も語らなかった。いや語る言葉を持たなかったのだ。指摘するだけならば、誰でもできる。
では、人口問題を解決するために、何をすべきか、何ができるのか。
タフの方舟は、ささやかでユーモアに満ちた作品であるが故に、わずかなページで、私たちが抱えながらも、ささやかな対処しかできない大きな問題に対し、選択をつきつけることができる。
それは、この本を読んで笑うことができる余裕すら持たない人たちにも影響を与える選択であり、しかも、現段階で、彼らを私たちと同様に「余裕」を持たせる「余裕」を私たちは持たない。その失礼さ、酷薄さを、私たちは無意識に持っている。
だから、本書の最後のテーマはあまりに重い。
しかし、避けることもまたできない。
私はタフさんではない。世界は、今のところ地球しかない。
だから、もって回って考え、行動するしかない。
何をすべきか、何ができるのか、自分もひとつの存在として、他者も同様の存在としてタフさんとは違って、私も他者も同じ立場において、何が選択できるのかを。
ちなみに、最終話以外は、前半同様軽く、楽しく読めることうけあい。
最終話だって、軽く読めなくはないので、ご安心を。
帯には「イーガン、チャンがわからなくても、この本の面白さはわかります」とあるが、まったくもってその通り。1986年発表の本書だが、今もまだ旬である。
(2005.5.29)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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