はるの魂 丸目はるのSF論評


4000億の星の群れ

FOUR HUNDRED BILLION STARS

ポール・J・マコーリイ
1988


 内容はおもしろいんだが、表紙がなあ。いやイラストを描いている方が嫌いというわけではなくすてきな絵である。が、内容とはあまりにかけ離れたうら若き女性のSF的お姿。最近、外で読むときには汚れ防止のためブックカバーをかけるようになってしまったが、汚れ防止ではなくてもカバーをかけてしまいそうな表紙は勘弁して欲しい。書店でも、一瞬手が止まったもの。逆に、この表紙だから買ったという方もいることだろうが、内容をまったく感じさせない表紙で買った人は、この作品を憎むのではなかろうか。
 SFの作品内容と表紙デザインの乖離は今に始まったことではなく、フィリップ・K・ディックなどは、多くの作品がスペースオペラのような表紙で出版されており、その内容の奥深さとはまったくもって関係がなく、その「ずれ」もまたディック的と後に言われることになったという。そうか、本書は、フィリップ・K・ディック記念賞受賞作品である。そのディックの逸話を正しくとらえようと、日本の出版社はこのような表紙を選んだのだろう。奥が深い…。

 本書「4000億の星の群れ」はイギリスのSFである。イギリスのSF的な雰囲気を持つ作品で、アメリカSFにはない趣がある。登場人物の内面と起きている外部の出来事が共鳴的に描かれる。日本文学でも内面と事象の共鳴はよく描かれるが、同じような文学的香りを持つ。
 人類が宇宙に進出して600年。最初は光速の壁の中で宇宙に植民地をわずかに開き、浪費時代、ロシア帝国とアメリカ帝国の時代、大空位時代を経て、相転移により光速の制約を受けない宇宙の移動方法が開発され、ふたたび人類の行動は活発になる。諸世界の共存共栄のための連盟の時代は地球の大ブラジルが植民星を支配する図式となったが、それでも、大空位時代の植民星の苦痛よりはましだった。しかし、人類はある星域で高度な知性体と接触し、その姿を見ることもないままに相互理解なく戦争状態へと突入する。
 敵の正体は不明であるが、制圧したひとつの惑星アレアで敵の正体を知ることにつながる発見があった。その惑星は、100万年前に改造され、自転を与えられた惑星であり、宇宙のあちらこちらから生命体が集められ、遺伝子操作されていた。そして、そこには知的生命体とおぼしき存在があった。この存在は敵と関わるのかを調べるため、テレパシーのような「能力」を持つ能力者で天文学者の日系人が挑発される。主人公ドーシー・ヨシダである。
 オーストラリアのまずしい捕鯨町の混血日系人として生まれたドーシーは能力のおかげでその町と家族から離れ、自由を得るが、そこでの記憶は彼女の苦悩とトラウマの根源であった。
 基地で能力と行動をうとまれながら、ドーシーは、アレアを旅し、その惑星の秘密、敵の秘密を少しずつ見いだす。それとともに、ドーシーは、自らの過去とも出会うのであった。
 ということで、ひとつの惑星とひとりの女性の物語であり、シェイクスピアの「ソネット」や、ドーシーの出自である日本人の「ウチ/ソト」の感覚、「ツミ」の感覚などを小道具に使いながら、冒険と旅が続く。不思議な生態系と知的生命体の行動などが、彼女の行動とともに読者に提示され、それとともに、人類の宇宙進出の歴史や敵との出会い、終わらない戦争、人類内部の権力闘争などが語られる。
 伏線の詰め込みすぎの感はあるが、期待感の残る作品である。
 そういえば、「地球の長い午後」のブライアン・W・オールディスもイギリスの作家であった。さまざまな生物と旅という共通性をふと感じた。これもイギリスSFの伝統だろうか。

フィリップ・K・ディック記念賞受賞作品

(2005.08.08)





TEXT:丸目はる
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