はるの魂 丸目はるのSF論評
ミラー・ダンス
MIRROR DANCE
ロイス・マクマスター・ビジョルド
1994
ネイスミスシリーズの時系列に並べた長編第5弾である。文庫のあとがきには、ヴォルコシガンシリーズとして、マイルズ・ネイスミス・ヴォルコシガンの両親が出会い、そして、マイルズが生れてしばらくを描いた作品や、同じ世界の過去を描いた作品を含めて時系列に並べている。
マイルズ・ネイスミス・ヴォルコシガンが活躍するようになっての長編として5冊目である。
1 戦士志願(17歳)
2 ヴォル・ゲーム(20歳)
3 天空の遺産(22歳)
4 親愛なるクローン(24歳)
5 ミラー・ダンス(28歳)
となっている。
前作、「親愛なるクローン」で登場したマイルズのクローンの存在は、ストーリーに新たな縦糸を導入することとなった。もともと、このシリーズでは、マイルズ・ネイスミス・ヴォルコシガンという特異な背景を持つ青年の2重の生活が柱となっている。宇宙のネットワークから長期間隔絶されてしまった植民星バラヤーは独自の貴族=軍人制度を軸とした社会を築いていたが、宇宙の植民星ネットワークに復帰したとたんに別の植民星に侵攻されなんとか侵略軍を追い出し、他の星系と同様の技術力を持つまでに発展しつつあった。しかし、その過程で、社会は変化を求められるが、変化を望まない人々も多い。さらに、元々の軍事帝国的性格から外星に敵の多い「遅れた田舎惑星」なのである。
この中で、マイルズ・ネイスミス・ヴォルコシガンの父は、皇帝が幼い日の摂政であり、その後は首相として政権を支える、第一皇位継承者であった。つまり、マイルズは、第二皇位継承権を持つ貴族の子として生まれた。しかし、彼は母が妊娠中に父を狙った毒ガス攻撃によって骨がもろく育ちにくいという身体的不具合を持って生まれることとなった。遅れたバラヤーでは、身体的不具合はいかなる理由であっても突然変異とみなされ、死と差別の対象となってきた。マイルズの母は、先進の技術大国の軍人としてマイルズの父と出会い、嫁いできた女であり、クローン、人工子宮などを社会の中に位置づけており、マイルズは、その父と母によって大切に育てられてきた。
しかし、マイルズにとって、生来の地位や権力は、彼の身体的不具合に対する貴族社会、軍人社会、一般社会の差別の中で、改めて実質として勝ち取らなければいけないものとなっていた。
彼は、帝国軍に入ることを拒まれ、「父のようになりたい」という願望、帝国に仕えたいという願望、「自由に生きたい」という願望がないまぜになったまま、天性の知性と機転と情熱とエネルギー、それに詐欺師のような言葉と、貴族として育てられた故に持つ人心操作術をもって、デンダリィ自由傭兵隊という大軍事勢力を手に持つことができ、マイルズ・ネイスミス提督という新たな顔を生み出すことができた。しかし、その一方で、彼は、マイルズ・ヴォルコシガン卿であり、バラヤー軍中尉であり、皇帝の幼なじみであり、第二皇位継承者でもあった。ふたつの顔を持つマイルズ。そこに、さらに、マイルズに成り代わるためにテロリストによって育てられたクローンの兄弟が登場する。このクローンの兄弟は、マイルズにすり替わるための教育を受け、同時に暗殺の教育を受けていた存在である。それ以外に目的は与えられず、テロリストの道具として成長したものの、マイルズにすり替わるためには、マイルズの思考、行動、発言を追いかけなければならない。それは、すなわちマイルズと同様の知恵と機転を持ち、マイルズへの憎しみと同時に、超えなければならない存在として知らず知らずに大きな影響を受けてきた。
前作、「親愛なるクローン」ではじめてマイルズと接触し、マイルズによって自由を与えられたクローンの兄弟が、それから4年後、デンダリィ自由傭兵隊に「マイルズ」として侵入し、その1特殊部隊をだまして彼の出生の地である違法クローン育成場を破壊し、そこで育てられている「脳を除くパーツ」としての子どもたちを救出しようとする。
それは、マイルズに対する憧れと、「認められたい」という青年の自我が起こした無謀な作戦だった。
本作では、「もうひとりのマイルズ」であるクローンの兄弟がマイルズに扮する。それだけではない、マイルズが「死に」、マイルズの弟としてバラヤーに連れてこられる。彼は、「そうであったかも知れないマイルズ」を読者に提示する。
天才で、機転が利いて、ネイスミス提督という特異なヒーローとしてのマイルズが、実は、バラヤー社会の中で逃れようのない苦しみを受け、その反映と逃避、バランスとしてネイスミス提督を生みだしていることが描かれる。
そして、もうひとりのマイルズ(クローンの兄弟)の存在は、多くの人たちに、マイルズとは何者で、マイルズと自分の関係がどのようなものかを問うことになる。
人は誰でも、自らが属する社会、あるいはその下部構造としての会社や、学校や、家族や組織の中で、その社会に求められ、与えられ、あるいは、選び出したペルソナとして行動し、表層の思考をおこなう。社会や下部構造での居場所が変われば、ペルソナも変わり、行動や思考も変化する。しかし、その人の奥底にある自我は、ペルソナとは異なる。だから、ペルソナと自我のバランスがとれなければ、人は悩み、苦しむのだ。
前作で、マイルズははじめてバラヤー人としての自分と、自由傭兵隊提督としての自分が同時に存在したとき、多いに混乱した。
今回は、この社会とペルソナと自我の関係について、クローンの存在を提示することで掘り下げていく。そういう物語を内に秘めた、SF冒険活劇である。
SFは、他の文学以上に、こういった社会と個人、ペルソナと自我のようなひとつの仮説を物語として思考実験するのに向いている。たとえば、本書では、クローンの兄弟をそれぞれの視点から語り下ろす。また、クローンのみでできた小さな集団のペルソナと自我について(浅いながらも)提示する。さらに、クローンを育て、それを自らの老いた身体の代わりとして使う人の視点、使われる道具としてのクローンの視点も提示され、それらを見る人、関わる人の視点さえ、物語に組み込まれていく。
これがSFのひとつの文学的役割であるとも言える。
そして、本書は、それを達成した上で、一エンターテイメント作品として完成している希有な例である。
タイトルの「ミラー・ダンス」は、本書の中ではクローンの兄弟が、マイルズの弟・マーク卿として正式に認められ、社交界で女性とダンスをするときのそのダンスの名前としてあげられている。もちろん、それだけではなく、マイルズとマーク、ネイスミス提督とヴォルコシガン中尉などが演じるミラー・ダンスを見ることができる。本書の中には幾層にもこのような写し鏡が登場する。それもまた、この物語のおもしろさと深みにつながっている。
それゆえに、本書は、同じシリーズでありながら、ふたたび、みたび、ヒューゴー賞、ローカス賞を与えられ、多くの人々に評価されているのである。
残念ながら、本書だけを読めば、本シリーズの面白さが分かるというものではない。
本書の前に、せめて、「戦士志願」「親愛なるクローン」ぐらいは読んでおいてほしい。何倍もおもしろいはずだから。できれば、時系列で、先に挙げた4冊と、中編集「無限の境界」も事前に読まれておくとよいだろう。
ヒューゴー賞・ローカス賞受賞
(2005.10.17)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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