はるの魂 丸目はるのSF論評


ホーカス・ポーカス

HOCUS POCUS

カート・ヴォネガット
1990


 1990年に発表され1998年に邦訳文庫化されたカート・ヴォネガット後期の長編作品である。1922年生まれの作者だが、2005年現在、まだご健在のようである。
 本書「ホーカス・ポーカス」は、2001年に書かれたユージーン・デブズ・ハートキの自伝的著書として書かれ、カート・ヴォネガットは編者ということになっている。ハートキは1940年に生まれ、80万冊の蔵書を誇る刑務所の図書館で裁判を待ちながら本書を書き連ねている。
 彼は、大学入学直前に陸軍士官学校に入るはめになり、そのままベトナムへ。ベトナム戦争の終結を受けて帰国し、ある学校の教職につく。教職を追われ、刑務所の教員となり、最後は、その刑務所の大脱走の責任を問われて、今に至る。
 彼は、図書館で過去のもつれを紐解きながら、その半生をふりかえる。
 舞台はアメリカである。経済的に日本に占領されたアメリカといってもいい。刑務所の運営も日本人がやっていたからだ。
 ヴォネガットらしさがいっぱいの作品である。なかでも私が気に入ったのは、作中に出てきて、あらすじだけが書かれるベトナム戦争従軍中に友人の別の兵士が誕生祝いに送ってくれた「黒いガーターベルト」というポルノ雑誌に掲載されていたSF「トラルファマドールの長老の議定書」である。宇宙の超知性体が、「寿命の限られた自己増殖のある生物を、全宇宙にばらま」くために、地球の人間に目をつけ「彼らの脳が細菌のための恐怖の生存テストを発明できるかどうか」を検討し、人間にそれをゆだねたのだ。だから、人間は、究極かつ宇宙に飛び出す細菌を生み出そうと努力を続けているのだった。
 まさしく、ヴォネガットである。

 80年代に書かれているため、当時の世相をよく反映している。
「アメリカの支配階級は、自国の公共資産と企業資産を略奪し、自国の産業をうすのろどもの手に預けました」と彼はいった。「それから、自国の政府に日本から巨額の借金をさせたので、われわれはビジネススーツを着た占領軍を派遣するしか選択の道がなくなった。ある国の支配階級が、彼らの富に含まれるすべての責任を他国に押しつけ、しかも、貪欲の夢さえおよびつかないほどの富豪でいられる方法を発見した例は、これがはじめてです! 彼らが昏睡状態のロナルド・レーガンを偉大な大統領だと考えたのもふしぎではない!」(ハヤカワ文庫版314ページ)
 80年代は、ちょうどレーガンの双子の赤字政策によって、円高ドル安、アメリカの貿易赤字=日本の貿易黒字で貿易戦争と言われた時代である。日本は、それもひとつのきっかけとしてバブル経済に突入するのだが、アメリカでは、すべての資産を日本が買っていくと言って騒いだものだ。おお、今はまた逆になっている。アメリカ(外資)が日本の資産を買っていくと、こっちが騒いでいる。個々人にとっては大きなことだが、大きな視点で見れば、親会社アメリカ、子会社日本の連結決算上でのやりとりと言えなくもない。
 これまた、作品ではなく、現実がヴォネガット的。

 こんなのもあった。
「1,000,000,000人の中国人が、まもなく共産主義のくびきを投げ捨てるのだから、と彼はいった。かなぐり捨てたあと、中国人ぜんぶが自動車とタイヤとガソリンとその他もろもろを欲しがるだろう、と。」(同244ページ)
 当時からアメリカでは中国台頭論が出ていて、2005年の今、まさに、そういう問題が起こりつつある。ただ、人口はもっと多くて2001年現在、1億2千700万人とされている。共産主義のくびきは投げ捨てなくても、いつのまにか自由主義の経済システムにしっかりのっかっているあたり、これもヴォネガット的かもしれない。

 もうひとつ、引用ついでに、ちょっと長いが引用する。「彼が相続した会社の1つは、石綿を原料に各種の製品を作っていたが、その粉塵は既知のどの物質より発ガン性が強いことがわかった。それを上まわるのは、エポキシ接着剤と、過って核兵器工場や原子力発電所の周囲の大気や帯水層に放出されたある種の放射性物質だけだった。(中略)
 彼はその会社を2束3文で売り払った。あるシンガポール企業が、機械設備と建物、アメリカ国内では売れない莫大な量の在庫商品も含めてその会社を買った上に、すべての訴訟の処理を引き受けてくれたからである。そのシンガポール企業は、エドその人が逆立ちしてもやれないことをやってのけた。石綿を使った床タイルや屋根ふき材をアフリカの新興独立国へ売りつけたのだ」(同194ページ)
 こういう文が書かれている作品を今年読むのも、ヴォネガット的である。
 2005年、日本では突然、石綿(アスベスト)由来の中皮腫(ガン)が社会問題化し、アスベスト製品の処理対策が大問題になった。もっとも、この問題は、60年代に知られ、80年代後半、まさに本書「ホーカス・ポーカス」が書かれた頃に社会問題となり、一部対応されたもので、今突然に起きたことではない。ただ、当時言われていた危険性(中皮腫)が現実になったために、以前よりも大騒ぎしているだけだ。騒ぐ時を間違えたのである。
 なんとヴォネガット的。

 ところで、ホーカス・ポーカスとは、でたらめな呪文やいんちきな言葉(嘘など)のこと。奇術師が言うまじないせりふなども「ホーカス・ポーカス」というそうだ。

(2005.11.11)





TEXT:丸目はる
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