はるの魂 丸目はるのSF論評
猫のゆりかご
CAT'S CRADLE
カート・ヴォネガット・ジュニア
1963
なんとまあ。1963年の作品である。1968年には邦訳され、1979年に文庫化、1983年の第4刷が私の手元にある。18歳の秋であった。本書「猫のゆりかご」はSFである。たぶん。アイスナインという常温で結晶化する氷が登場するから。考えてもみてごらんなさい、常温で水が氷になったらどうなると思います。ねえねえ。どうなると思う。
たいへんだ。
だからSFである。
本書がヴォネガットの名前を一躍有名にしたのは、「アイスナイン」のせいではない。本書のストーリーでもないと思う。本書に出てくる「ボコノン教」という新興宗教のせいである。
映画「スターウォーズ」で、「フォース」と、「ダークサイド」あるいは、「ジェダイ」といったキーワードをもとに、メジャーな楽しみ方とは別に、新興宗教的取り上げ方をする人たちがいる。文化的文脈で言われるカルト(カルト映画)などとは異なり、明らかに宗教的文脈で「スターウォーズ」を語っている。
同様に、本書「猫のゆりかご」もまた、書かれている「ボコノン教」により、文化的文脈としてのカルト作家ではなく、宗教的文脈としての扱いをされる場合がある。
たとえば、インターネットで検索をかけてみるとよい。日本でさえ、いくつもの「ボコノン教徒」サイトがある。あるいは、ボコノン教を名乗るもののサイトがある。
その是非は問うまい。いろんな理由があろうし、なにより「ボコノンの書」は、「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんな真っ赤な嘘である」からはじまっているからだ。
問うてもしかたがないではないか。
本書「猫のゆりかご」が世に出たのは、1963年のアメリカであり、1963年のアメリカは、ベトナム戦争をもって語られる。ちょうど、本格的な武力介入に入る頃である。
人々の気分はその後のアメリカにとってのベトナム戦争をもって知れよう。
同時に、1963年のアメリカは、ケネディ大統領とその暗殺をもって語られる。
そして、本書は、「世界が終末をむかえた日」という章をもってはじまり、「あとがき」によれば、あまり売れなかったようである。しかし、その後2年間で、「猫のゆりかご」の評価はカルト的に高まったという。
みんな何かが嫌だったのだ。
そういう作品である。
ちなみに、作品の前半の主題となっているのが、原爆の父のひとりフィーリクス・ハニカー博士が、1945年8月6日の広島原爆投下の日に何をしていたか、を、3人の子どもをはじめ様々な人に主人公が取材するという形で進む。もちろん、フィーリクス・ハニカー博士など、存在していない。ボコノン教だけでなく、「本書には真実はいっさいない」のだ。1945年8月6日に広島に原爆は投下されたけれども、残念ながら、それは真実だ。「真実はいっさいない」本書に真実が書かれていても、それは、真実ではない。真実の扱いは難しいのだ。
ヴォネガットは、あらゆる形の「戦争」に対して、作品を書く。そのためか、SFなのか、文学作品なのかわからないものが多い。幸い? 日本では、ほとんどがハヤカワからSFとして出されており、われら日本のSF読みは安心してヴォネガットの作品に手を出せる。こういう作品は、SF免疫があった方がよい。ついついだまされるから。ちゃんと、「真実はいっさいない」と作者が書いているのにかかわらず、人は、そこから真実を読み取ろうとするのだ。くわばらくわばら。
それが人間というものかも知れない。
だから、本書の中で、ときどき、ハニカー博士の末っ子で、「こびと」のニュートが作者に言わされている。「猫、いますか?」「ゆりかご、ありますか?」と。
本書のタイトルでもある「猫のゆりかご」とは、あやとりのこと。毛糸で大きめの輪をつくって、それを両手の指でああしてこうしてそうする、あのあやとりである。アメリカでは、「猫のゆりかご」という名前の付いた形があるらしい。「猫、いますか?」「ゆりかご、ありますか?」
(2005.11.11)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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