はるの魂 丸目はるのSF論評
双子惑星恐怖の遠心宇宙船
TWIN WORLDS
ON THE PLANET FRAGMENT
THE MUSIC MONSTERS
ニール・R・ジョーンズ
1937,1938
ジェイムスン教授シリーズも第四弾で邦訳最後である。「双子惑星恐怖の遠心宇宙船」は第一部。第二部「箱形惑星光球生物の怪の巻」、第三部「音楽怪人はギャンブルが大好きの巻」である。第三巻の「惑星ゾルの王女」での一連の冒険が終わり、再び大宇宙の冒険に乗り出した、ジェイムスン教授こと21MM−392の機械人。今ならば、機械化甲殻体とでも呼ぼうか。しかも、機械化とともにテレパシーまで使えるようになっているところが本シリーズの味噌である。
さて、邦訳が最後ということもあるのか、巻末には翻訳家野田昌宏氏ではなく竹川公訓氏による「機械化人人別帳」がつけられている。登場人物が機械化人で基本的に数字と英文字の記号なのでよく分からなくなるのだ。だから、第一巻から4巻までの登場人物と、その履歴をたんねんにまとめたものである。今ならば、翻訳の元のテキストデータをベースにして、検索をかけていけば難しいことではないだろう。翻訳書が出版されのは昭和52年4月。1977年のことである。残念ながら、翻訳は手書き。さすがに活版ではなく、写植によるものだが、検索まではできない。大変な作業であったと思われる。しかも、1930年代の作者、ニール・R・ジョーンズでさえ、かなりいいかげんで、登場人物の名前が変わっていたり、属性が違っていたり、死んだはずの機械人がよみがえっていたりと、うんざりする作業だったろう。その苦労に頭が下がる。
それで、本体の方だが、最初の「双子惑星恐怖の遠心宇宙船」は、その名の通り双子の惑星で、大きい方に文明が発達し、小さい方の惑星にコロニーをつくっている。その行き来に利用するのが、相互の潮汐力を利用し、地上の大きな観覧車のような輪っかを高速回転させ、その遠心力で飛ばすというもので、それが「恐怖」なのだ。
で、第二部の「箱形惑星光球生物の怪」と「音楽怪人はギャンブルが大好き」は、箱形の不思議な形をした惑星で、その面ごとに重力が変わるため、それぞれの面に住んでいる生物が異なり、いくつかの知的生命体が暮らしており、それぞれに危機があるというもの。「光球生物」の方は、車輪型知的生命体を襲う生き物で、このほかにも低重力地帯から来る巨人が襲ってくる。「音楽怪人」は敵ではなく、炎にも耐えられる巨人を倒す知的生命体で、車輪型よりは知能が劣るタイプ。惑星の別の面では、肉食植物である程度育つと動物部分が別に出てくる。機械人だから、重力が変わっても行動に問題はない。
まあ、物理学が苦手な私でもいろいろ突っ込みたくなるところはあるが、突っ込まずに素直に楽しむのが、この手の古典スペオペの楽しみ方である。
25年ぶりぐらいに、本シリーズを読み返してみたが、四半世紀を過ぎていると、こういうスペースオペラってなくなったなあと思わずにいられない。第一、勧善懲悪である。見るからに敵は敵として位置づけられ、困った人(異星人・知的生命体)はいい人で、いじめる人は悪い人である。時代劇である。もはや過ぎ去りし大衆芸能の世界である。SFの世界ではみなくなった。主人公が苦悩する時代である。逃げ出す時代である。複雑なのである。そうでなければ、物語に奥行きがないなどと言われるのだ。
ほかのスペースオペラと違うところは、ジェイムスン教授が、他のクルー(機械化人)と比べて、それほど突飛ではないという点であろう。なにせ、身体は付け替え自由の互換パーツでできている。ただし、ジェイムスン教授だけは1本の腕に熱線銃を仕込んでいるのと、唯一の地球人でユーモアを解するところが違いである。突っ込んではいけないのだが、熱線銃を仕込んだ腕がなんらかの理由ではずれて、予備パーツをつけても、やはり熱線銃は仕込まれている。ならば、他の機械化人もそうすればいいのだが、誰もそうはしない。そのあたりが、主人公たるところだろう。でなければ、誰が主人公でも変わらないような見た目だし。
ジェイムスン型アンドロイドの原型を藤子不二雄のイラストと、古典スペオペのテイストで味わいたければ、この4作品をどこかで探して読んで欲しい。ただし、「物語に奥行きがない」「リアリティがない」と言って責めないように。
(2005.12.24)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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