はるの魂 丸目はるのSF論評


放浪惑星
THE WANDERER

フリッツ・ライバー
1964


 アメリカとソヴィエトが月に数名の基地をつくり、月の調査を行うようになったちょっとした未来に、突如、太陽系外から超空間を通じてひとつの惑星が月の軌道そばにあらわれる。月は破壊され、地球もその影響を受けて、地震や津波、火山活動に見舞われる。人類始まって以来の危機は、地球外知的生命体の暴挙によって生まれた。
 月基地にいた男、月探査の広報を行う男、月基地にいる男の恋人、その猫、奔放な自主演劇の女優、ベトナムへの密輸と難破船の宝漁りを続けるマレー人、ひとり乗りの船で旅をする冒険家、大統領を狙う飛行機テロに向かう男、シージャックされた原子力客船の船長、酒飲みの詩人、UFOマニアのグループ…。地球上にいる様々な人たちが、驚き、翻弄され、そして、死に、あるいは生きのびていく。

 宇宙への競争で遅れをとったアメリカにとって、月への一番乗りは悲願であったが、それは1969年まで待たなければならなかった。そんな宇宙開発時代の古き良きSFである。
 今読むと、その科学的な知識は古くさい。おそらく、当時でも、「それは違うんじゃないか」といった指摘があったのではなかろうか。もっとも、本書では、E.E.スミスのレンズマンや、エドガー・ライス・バロウズの火星シリーズなどが直接言及されるなど、1964年当時での「過去のSFのオマージュ」であったのだから、そういうことはあまり気にならなかったのだろう。
 本書「放浪惑星」と同じように、地球に惑星が接近するSFと言えば、「地球最後の日」(フィリップ・ワイリー&エドウィン・バーマー)をすぐに思い出すが、こちらは1932年の作品で、巨大な2つの惑星が地球に接近し、地球が壊れ、代わりにひとつの惑星が地球軌道におさまって、人類はわずかに救われるというものであった。本書でも、2つの惑星が登場するものの、そのふたつの惑星は、地球のすぐそばで惑星間宇宙戦争をはじめてしまい、地球はただの傍観者である。そして、彼らは地球がそばにあることなど気にならなかったように消えていってしまう。そこにはただ、荒れ果てた地球と、生き残って呆然としている地球人と、粉々になった月があるだけだ。本書では、人類は右往左往するだけで、まったく何もなすすべがなかった。ただ、翻弄され、いきさつを見守り、生き残れるものなら、生きのびるための努力をするだけである。
 背景を考えれば、ベトナム戦争当時の「無力感」があるのではなかろうか。そんなことをふと感じてしまう。

 ちなみに、今手元にある本書「放浪惑星」は、創元SF文庫で、1976年の第5版である。初版は1973年。1976年といえば、私は小学生だが、本書を購入したのはそれからずっと後で、おそらく高校か大学に入ってからだろう。すでにカバーもなく、初めて読んだときの記憶さえない。もしかしたら、積ん読だったのかも知れない。内容にほとんど記憶がない。本書「放浪惑星」が世に出てすでに40年。繰り返される「地球破壊」テーマSFの歴史の中の1冊として、記憶と記録に残り続ける作品なのだろう。
 そうだ、本書の中には、いくつかマレー語もしくはインドネシア語と思われる単語が出てくる。とてもわかりやすい単語で、私でも分かってしまった。これを最初に手に取ったときの私では分からなかったことだ。年をとるのも悪いことではない。

ヒューゴー賞受賞

(2005.12.15)  





TEXT:丸目はる
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