はるの魂 丸目はるのSF論評
百万年後の世界
ACROSS TIME
デヴィッド・グリンネル
1957
100万年後、人類はどうなっているだろうか。100万年後、地球はどうなっているだろうか。その途方もない未来にSF作家たちは想像の限りをつくす。
本書「百万年後の世界」は1957年に書かれた未来世界のSFである。主人公は、20世紀中葉のアメリカ人。100万年後の未来に放り込まれ、同時に未来に投げ込まれた兄と兄の妻でかつては自分の恋人だった女を救い出すべく行動を開始する。
その100万年後の未来。人類は宇宙に広がり、ふたつの勢力が存在していた。いずれの存在も、ほとんど物質に依存しない存在だが、ひとつの大きな勢力は個々の自由を尊重し、その後に生まれた生命体や他の星の生命体には干渉しない道を選んだ。もうひとつの勢力は、個々の頭脳をエネルギー的に連結したひとつの大きな存在になるべく、勢力範囲の星系にいる肉体を持つ人類の末裔などを従えていた。
主人公は、個々の自由を尊重する主勢力の影響下にある100万年後の地球に降り立つ。そこは、かつての類人猿が進化した文明社会であった。その文明は、ちょうど20世紀の中葉とほぼ同じであるが、以前の人類文明のなごりはまったく存在しなかった。ただ、石油などの地下資源の不在が、かつての文明の存在をうかがわせるだけであった。地下資源のない社会で、次の人類は、蒸気機関の文明をつくりだし、ちょうど、原子力の活用に目覚め、核戦争の恐怖を感じ始めた時代、すなわち、20世紀中葉の冷戦の時代と類似していた。
主人公は、この勢力下に保護され、やがて本当の人類の末裔であるエネルギー体生命と出会う。そして、兄夫婦が別の勢力の支配下に置かれていることを知り、彼らを救い出すべく、博物惑星にあった地球年237,109年建造の最後の物質的戦艦宇宙船を与えられ、大宇宙に乗り出す。
21世紀の今に読めば、スチームパンクな文明社会であったり、自立型人工知能ロボットが登場する宇宙船であったりと、なかなか楽しいガジェットが登場する。また、その人類史も興味深い。
もっともストーリーの柱となっている兄弟の確執と、ひとりの女性をめぐる行動については、おいしくないデザートみたいなもので、三文芝居と思って気にしないことである。
SFとしてのガジェットにあふれている本書「百万年後の世界」であるが、その背景を考えると、発表された1957年頃といえば、米ソ冷戦から第三次世界大戦への発展が現実のものとして恐れられており、核戦争が真の恐怖だった時代である。未来のエネルギー体となった人類の2大勢力についても、ひとつが個人主義、自由主義社会を反映し、ひとつが、当時のソ連を思わせる社会主義的、一極集中的社会を反映している。さらに、次の人類である100万年後の地球社会は、そのまま当時の社会状況であり、戦争の恐怖と人間の愚かしさを描いている。そのような社会的背景の上に本書「百万年後の世界」が成立しており、その文脈から本書が逃れることはできない。ある種のSFの役割であり、宿命でもある。
さて、100万年後の人類といえば、ドゥーガル・ディクソンの「マンアフターマン」(1990)が1993年に日本で発行されている。イラストで、200年後〜500万年後の人類史を描いている。水中に適応したもの、砂漠に適応したもの、宇宙に出て行ったものなど様々なものたちが、自然に、あるいは、遺伝子改変により、さらには遺伝子改変の後の進化によって変化していく様を描いている。
ああ、人類よ。地球よ。どうなっていくのだろうか。
私に知るよしもないが、幸多からんことを。
(2006.1.2)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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