はるの魂 丸目はるのSF論評


ロシュワールド
THE FLIGHT OF THE DRAGONFLY

ロバート・L・フォワード
1984


 6光年先のバーナード星系で二重惑星が発見された。無人探査機が1998年に出され、2022年には報告が戻ってきた。2026年、16人の科学者、パイロットらがレーザーによる恒星船プロメテウス号で40年の航海に出る。それは片道切符であり、成功すれば2076年の大アメリカ300年祭には調査報告が届くことだろう。
 プロメテウス号は、それ自身が半知性をもつ人工知能が搭載され、クリスマスブッシュという分離稼働可能なロボット、および、各搭乗者にひとつずつ割り当てられた通信/補助ロボット・インプ、無人探査船、その他が連携し、自律しながら探査を支援していた。
 無事、バーナード星系に到着したプロメテウス号は、いくつかの惑星を調査し、本命のひとつ二重惑星ロシュワールドにおもむく。そこは、ロシュの限界ぎりぎりのところで相互に影響を与えながら公転する二重惑星である。ここに有人の探査船ドラゴンフライ号が着陸し、調査をはじめる。そこには、単細胞の巨大な知的生命体が、人類とは異なる世界観を持ち、数学的哲学的考証と、ロシュワールドの過激な海でのサーフィンを楽しんでいた。彼らとの接触、交流が今はじまった。
 本書「ロシュワールド」は、内容だけ抜き出すと、人類とは大きく異なる異星知的生命体との接触の物語である。異星知的生命体は、まったく人類とは世界観を異なっているのにかかわらず、人類とコミュニケーションできた。それは、もちろん、人類の手になる人工知性体のおかげである。もうひとつ、本書のテーマは、異星に行く、である。太陽系を超え、片道切符だが、実現可能な方法で6光年を旅し、研究する、夢を果たす。
 それだけならば、短編や中編でも十分な気がするが、作者ロバート・L・フォワードにとっては違う。彼は、どうやって恒星を旅するのか、ロシュワールドが存在した場合、その惑星はどうなるのかを描きたかったのだ。ハードSFの申し子であり、科学者であるフォワードにとって、SFは無限の空想の世界ではなく、ひとつの科学仮説を前提にした物語なのだ。そして、フォワードは物語よりも世界を書きたいのだ。
 だから、16人の片道切符となった登場人物が、なんのトラブルも起こさずに40年間過ごすのをおだやかな気持ちで見ておこう。だから、地球圏の政治経済状況に変化が起こり、一時は、プロメテウス号に関心をなくしたためその推進機関である太陽光を集積してレーザーとして送る装置の拡張が予定通り進まず、プロメテウス号が宇宙の迷い子になりかねない危機を描いているのに、それほど緊迫感がないのも、おだやかな気持ちで読み進めよう。不定型な異星生命体のコミュニケーションのありようについてもあまり深く突っ込まないでおこう。
 宇宙海兵隊の訓練の場で、隊員をののしる言葉として「BASICプログラムの申し子」というのも、1984年という時代が語らせているのであろう。
 ま、いいや。

 本書「ロシュワールド」は出版された翌年の1985年夏には邦訳されている。私がはじめて読んだのはおそらく1986年のことで、チャレンジャー号爆発、チェルノブイリ原発事故に象徴される年である。日本ではパソコンといえばPC-9801の時代で、MS-DOSの「DOSってなんだ??」ってな時代である。メディアにテープや5インチフロッピーを使っていたのだ。ようやく3.5インチフロッピーが普及しはじめた頃である。新聞には、人工知能やシステム工学の文字が躍り、ソフト会社が次々に生まれ、大学卒をシステムエンジニアとして大量雇用していた時代である。時代感覚には合っていた作品なのだろう。

 さて、2006年、約20年ぶりに読み返したのだが、何を感じたかと言えば、昨年から放映しているテレビアニメ「交響詩編エウレカセブン」で、不定形の知的生命体が登場しているなあとか、大気中の波であるトラパー波でサーフィンしているなあとか、そういうぼんやりとした思い出しであった。いや別に「エウレカセブン」と類似点があるというわけではなく、波乗りを通して、世界と共感し、つながり、かつ、数学的哲学的思考を得るというのは素敵なことだなあと思った次第である。

(2006.02.07)





TEXT:丸目はる
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