はるの魂 丸目はるのSF論評
断絶への航海
VOYAGE FROM YESTERYEAR
ジェイムズ・P・ホーガン
1982
1980年代テイストたっぷりの「播種船もの」である。本書「断絶への航海」は、いかにもホーガンといった感のある理想主義的科学技術信仰に満ちた作品で、そのあたりが今となっては読者を選んでしまう。最初から、辛口の表現をしてしまったが、どうやら高校生の時の私は、この作品にどっぷりのめり込んでいたようで、ところどころに赤鉛筆で線が引いてある。なにやら恥ずかしいところにばっかり赤線があって、読み直しながら赤面してしまった。
“人間の心は無限の資源で、本当に必要なのはそれだけなんです”とか、
“彼らがやっているのは、こっちも気づいていない頭の中の思考を引き出すことなんだな”“子供の教育は、それだけで充分なのよ”とか。
どうした、高校生の私。何があったんだ。
それはさておき、本書「断絶の航海」の話である。
1992年に米ソの局所的戦術核衝突が起こり、2015年には第三次世界大戦前夜の状況下にあった。しかし、核融合によるエネルギー問題解決と、経済成長がその圧力を押しとどめていた。2020年、北米宇宙開発機構と中国、日本を中心とする東亜共栄圏の同機構は共同で宇宙の避難所計画として、人間の遺伝子情報と人工知能ロボットをのせた無人船を発進させ、適当な惑星が発見されたら人間を創造し、人工知能ロボットが養育するプログラムを実施した。
2021年には、北米、ヨーロッパが荒廃、ソヴィエト帝国が終焉する大殺戮が起こり、飢餓時代となる。アジアは、中国、インド、日本の東亜共栄圏が勢力を伸ばしていた。
2040年、播種船から連絡が入り、アルファ・ケンタウリの惑星ケイロンに播種を開始したことが伝わる。そして、2050年代にかけて、新アメリカ、大ヨーロッパ、東亜連邦の3大超大国となり、それぞれが、ケイロンの支配権を主張し、宇宙開発に乗り出した。そして、新アメリカ、東亜連邦、大ヨーロッパの順に、恒星船をケイロンに向けてスタートさせたのである。
2060年、新アメリカは、正規軍、特殊部隊をふくむ到着時3万人ともなる恒星移民船メイフラワー2世号を発進させた。そして、20年、9光年の旅を経て、2080年12月31日、惑星ケイロン軌道上に到着した。
そのとき、ケイロン人は、ロボットに育てられた第一世代が30代後半から40歳ぐらい。約1万人、第二世代の10代後半以上で約3万人ともなっている。彼らは、メイフラワー2世号の指導部がいくら問いかけても、責任者も、指導者も、その社会体制も明らかにはされなかった。しかし、ケイロン人は彼ら地球人を快く受け入れるという。
新アメリカは、後続の東亜連邦、大ヨーロッパの恒星船が来る前に、ケイロン人を制圧し、惑星を支配下に置くべく、硬軟両構えで、民間人の一部と軍の一部を惑星ケイロンに降ろした。
しかし、ケイロン人の社会は、規律に満ちた新アメリカ人とはまるで違った社会となっていた。
ここに、ケイロン人社会と、地球人社会の未来をかけた静かな戦いが開始された。
いろいろ書いてあるけれども、「理想的共産主義社会」とでもいうようなのがケイロン社会である。通貨はない。エネルギーも、土地も、製品も無尽蔵に存在し、ロボットなどが労働の下支えをしている。人々は、指導体制や政治体制がないままに、自らの資質と興味に応じて、複数の仕事、芸術、文化、生活的行為を行う。「規制」という概念はなく、「他者の尊敬」のみが、ケイロン社会の価値観であり、規範である。ゆえに、そもそも他者の尊敬が得られないものは社会から消えるしかない。他者の尊厳を奪うものは殺されてもしかたがない、他者の尊敬という規範から逸脱した者は、他者とのコミュニケーションから離れ、引きこもるか、野生に出るしかない。でなければ、殺されるだけだ。しかし、その「他者の尊敬」という規範に応じて暮らす者は、自律、自主の豊かで文化的な生活を過ごしている。おべっかも、裏表も、本音と建て前も、命令も、服従も、義務や権利もない。純粋に、なすべきことを探し、なせばいいのである。
これに、くらりと来て、「自立的」な要素を持つ者から、地球人はケイロン人に移っていく。
翻訳者があとがきで書いていたが、「そんな社会が成立するわけがない」のである。
それを、科学技術による社会的経済的制約条件の解決により成り立つ、あるいは、それに近い方向に行くはずだ、というのがホーガンの主張であり、理想であり、理念であり、本書「断絶への航海」は、それを素直に表現したものだ。
もちろん、ホーガンはまったくの自由主義経済に生きる作家であり、その作品群を読む限り、社会主義や共産主義とは相反する思想信条を持っている。本書「断絶への航海」でも、ケイロン人社会を共産主義とは言っていないし、そういうものではないつもりで書いているようだ。しかし、素直に読み下せば、仮説的共産主義なんだと読めるが、どうなのだろう。
ホーガンは、“嫉妬、不信、疑念など、人類史上その宿痾ともいうべき感情”(ハヤカワ文庫SF 11ページ)と、人間関係や因習に縛られた結果起こる人々の争い、社会の争いが引き起こす暗い現実に対して、科学技術の進歩によるあっけらかんとした明るい未来観を提示する。そのわくわく感はホーガン特有のおもしろさなのであろう。同時に、そのあっけらかんとした未来観には、20世紀前半の狂った時代に生まれた芸術運動の「未来派」に似たちょっと気持ちの悪い清潔さを感じてしまう。
(2006.2.25)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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