はるの魂 丸目はるのSF論評


ファウンデーションと地球
FAUNDATION AND EARTH

アイザック・アシモフ
1986


 アシモフによる銀河帝国/ファウンデーション歴史にひとつのトリを飾るのが本書「ファウンデーションと地球」である。ファウンデーション・シリーズとしては5作目にあたり、時系列としてもその順番通りである。前作「ファウンデーションの彼方へ」が三部作から29年の時を経て、1982年に登場し、セルダン計画そのものに対してアシモフからの疑義が唱えられる。そこに登場したのは「ガイア」超知性体であった。
 前作では、ファウンデーション人のゴラン・トレヴィズが、スーパー・コンピュータを搭載した重力操作宇宙船に乗り、考古学者ジャノヴ・ペロラットとともに壊滅したはずの第二ファウンデーションを探す旅に出た。ペロラットは、「地球」とも「ガイア」とも呼ばれる人類の始祖惑星を探し求めており、それを隠れ蓑にしたのだ。そして、最後には「ガイア」にたどり着き、トレヴィズはある「決断」を迫られる。
 そして、本書「ファウンデーションと地球」では、トレヴィズ自身がこの「決断」の意味と決定について悩み、その解決には「地球」を探すしかないと決意する。トレヴィズとペロラットの「地球探し」が再開された。今回は、ガイアであるペロラットの伴侶ブリスも一緒であり、初老のペロラットとブリスは新婚気分でいちゃついている。
 そんななか、「決断」による責任を感じているトレヴィズは、いらいらするのを避けるため、重力船のコンピュータとますます融合を深めていく。それは、有機/無機融合知性体のようでもあった。
 本書は、1986年に発表されているが、前作「ファウンデーションの彼方へ」と本書「ファウンデーションと地球」と間には、ロボット物の「夜明けのロボット」「ロボットと帝国」が挟まっている。
 それは、つまり、「ロボットと帝国」なしに、本書「ファウンデーションと地球」は成立しないし、「夜明けのロボット」なしに「ロボットと帝国」は成立しないからである。
 いや、もちろん、それは言い過ぎであり、この2冊を読まずしても、ファウンデーション五部作として読むことに問題はない。しかし、ファウンデーション・シリーズファンとロボット・シリーズファンの双方がある程度であれこの両シリーズの接点を納得するためには、アシモフは間に2作品を発表する必要があったのだ。
 本書「ファウンデーションと地球」は、2万年後の未来から見た帝国創生史めぐりである。トレヴィズは、彼の心の命じるままに、帝国の母体となったセツラー・ワールドの古い植民惑星を訪ね、廃墟と化したスペーサーの惑星を訪ね、地球の秘密を知る。
 そこには、人類の極端な未来がいくつも提示され、過去のファウンデーションシリーズに見られた第一ファウンデーション、第二ファウンデーション、セルダン計画と対比させていく。
「ロボットと帝国」で残された謎を読者に解き明かし、トレヴィズはついにほとんどすべての秘密を知る。
 アシモフはトレヴィズとブリスの絶え間ない議論と、最後に登場する影の人類史に欠かせないロボットとなったダニール・オリヴォーとの会話を通じて、人類のありようにひとつのテーマを示す。
 それは、アシモフのこれまでの苦悩と同様に、留保条件付きのままであった。
「決断」者、トレヴィズさえも新たな留保条件を物語の中で示す。個の自立性、独立性、孤立性を大切にするトレヴィズは、重力船のコンピュータとときおり一体化する。重力船のコンピュータはロボットではなく、トレヴィズに直接「語りかけ」てはこない。しかし、トレヴィズは、次第に重力船のコンピュータと融合することを望むようになる。
 それも、アシモフが本書「ファウンデーションと地球」で繰り返し悩み続ける人類のありようのひとつの答えであり、彼が出した結論への留保条件にしかならない。  ぶっちゃけよう。
 生命を大切にし、平和と平穏と幸福に満ちた社会/生命圏はすばらしく理想的である。
 そんな社会/生命圏はつまらないじゃないか。たとえ、無用な争いがあっても、生命は多様に躍動し続けるほうがいい。
 あなたならどちらをとるだろうか。
 アシモフは、前作で「ガイア」を選んだ。しかし、その結論の「正しさ」に答えは出ていない。
 今もなお、この留保条件は解除されていない。
 いつか、誰かがこの留保条件を解くのであろうか。
 ただ私は「神」への信仰と否定しないが、人が作りしものであっても人を導くための「神」は必要としていない。
 ごめん、ダニール・オリヴォー。


(06.3.29)





TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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