はるの魂 丸目はるのSF論評
流れよ我が涙、と警官は言った
FLOW MY TEARS, THE POLICEMAN SAID
フィリップ・K・ディック
1974
1988年10月11日、TVショーの司会で歌手のジェイスン・タヴァナーは、世界に存在しない男となった。世界中で彼のことを知らない者はいないエンターテイメントの有名人は、なぜか目覚めると誰もその存在を知らない世界にいた。それは昨日までとまったく同じ世界。ただ、彼のことを知るものがいないだけ。彼が存在していないだけの世界。誰も彼を知らない。恋人も、仕事仲間も、愛人も。そして、彼は何者でもないが故に、注目を集めてしまう。彼のIDカード、すべての政府機関に記録された出生記録、身体記録が存在していなかった。
密告と監視に満ちた警察国家において、IDを持たない、記録を持たない者は、犯罪者と同義であり、強制労働所へ送られるべき存在である。
そのことを知り尽くしているタヴァナーは、なんとか偽造のIDや記録を入手し、自らの存在を証明しようと動き始める。しかし、そのタヴァナーの動きは、すでに警察政府に知られ、高官の注目を集めていた。秘密を持ち、秘密を知り、秘密を作ることができる高官の静かな注目を集めていた。
ニクソン大統領とウォーターゲート事件は、アメリカの民主主義に極めて大きな影を残した。政府機関による盗聴、監視、隠蔽について、人々は、薄々と気がつきながらも、「やむを得ないこと」と知らないふりをしていた。しかし、それらの行為が、正義のためではなく、権力による権力のための行為として容易に行われることに、人々は驚愕し、絶望した。とりわけ、そのことをずっと知っていて、恐怖していた者にとって、ウォーターゲート事件とニクソン大統領の一連の行為は、それらの行為が「もはや隠す必要すらなくなった」事実に、絶望した。
本書「流れよ我が涙、と警官は言った」は、世界のもうひとつの姿、真実のひとつの姿を見続け、見せ続けたディックが書いた素直な作品である。SF的要素は、遺伝子改変による優生学的実験体、観察者による多元的世界を主観的に変える一定の力を持つ薬物ぐらいである。あとは、ウォーターゲート事件に揺れる1974年にディックが見た、約10年後の世界であった。
私が今持っている本書は、サンリオSF文庫版である。1981年の冬に初版が出され、1983年3月に第二刷が出されている。1983年過ぎだから、私が大学生の頃に読んだ1冊である。この頃、ディック・ブームが起こっていて、サンリオをはじめ、各社から次々とディックの未訳本が出されていた。1982年、ディックが急死し、そして映画「ブレードランナー」が公開されたからである。それ以前から、わからないながらにディックを読んでいた私は、あらためてディック的なものの見方に衝撃を受けた。
それから20年以上が過ぎた。サンリオSF文庫がなくなり、1989年には同じ友枝康子氏の訳により、ハヤカワ文庫SFから「流れよ我が涙、と警官は言った」が出されている。物語の舞台となった1988年はこともなく通り過ぎたが、今になってディックを読み返せば、現実の世界の恐ろしさを改めて知ることができる。
かの国に入国するためには、指紋を提供しなければならない。
我が国に入国するためにも、もはや同様である。
そこかしこに、静かに記録をとり続ける目があり、容易にそれらは権力に利用される。
そして、人々は、「やむを得ないこと」と、その本当の恐ろしさに目をつぶる。
誰かが異議を唱えれば、それは、異議を唱えた者が「何か」をたくらんでいるのではないかと疑い、あやしむ。そして、「何か」が起こったら、どう責任をとるのかと詰め寄る。
2006年春、組織犯罪処罰法改正案で「共謀罪」が提出された。5月19日には、強行採決されるはずだったが、なぜか、採決は見送られた。しかし、採決寸前までいったのは事実である。ディックが生きていたら、911以降の世界を、いかにして嗤うだろうか。
(2006.05.22)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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