はるの魂 丸目はるのSF論評


ニューロマンサー
NEUROMANCER

ウィリアム・ギブスン
1984


 1984年発表、1986年に黒丸尚訳にてハヤカワSF文庫に登場した「ニューロマンサー」は、「サイバーパンクSF」を象徴する作品である。ギブスンの文体と作風は、黒丸訳によって「ああ、これがサイバーパンクなんだ」と思わせるにいたる。翻訳の力はすごい。
 ところで、1984年〜86年といえばMS-DOSの時代であり、ハードディスクなんて高嶺の花で、フロッピー全盛時代、いや、5インチフロッピーだけど。ひょっとするとカセットテープにプログラムを入れ込んでいたりしていた。通信はカプラ、指でジーコロとダイヤルして、受話器から通信を音で送っていた。大学にある端末はキーボード入力もできたけど、プログラムやデータを紙パンチで送っていたりして。あ、漢字ROMって知ってるか? 当時のMS-DOSはソフトウエアとして2バイト文字を扱えなかったのだ。
 MS-DOSの概念が分からなくて、ブルーバックスの入門書を読んだりしたなあ。
 それでもね、ちょっと未来って感じだったさ。だって、お金さえ出せば、自分の家にパソコンを導入することが不可能ではなくなったんだから。
 私の指導教官(社会科学系)は、NECの8801系パソコンに、ワープロソフトをプログラムから組み込み、特殊な漢字を作字して登録していたっけ。
 私も、DOSの入ったNECの文豪miniシリーズを持っていて、特殊漢字を作字して作ったなあ。今になっては何にもならないけれど。当時は時間をかけたものだ。
 そんな時代の、といっても、たかだが20年前なのだが、もっと「未来」を予感させた作品が本書「ニューロマンサー」である。
 戦争があって、ヴァーチャルリアリティの技術、コンピュータの技術が進歩して、コンピュータ空間(マトリックス)に、人格ごと入り込み、データを操作したり、盗み出したりする。そのために、ウイルスプログラムを開発し、注入する。
 人体は、パーツとして改造可能になり、コンピュータ技術によるマン・マシンインターフェースも実用化されている。
 AI(人工知能)も厳重な管理下でコンピュータ空間の中に存在する。

 かつて、カウボーイとして電脳空間のマトリックスに没入しては企業などのデータ空間に入り込み仕事をこなしていた主人公のケイスは、一度の大きな失策でインターフェースとなる神経系を損傷されてしまい、職を失っていた。
 このケイスの神経系を修復し、ある作戦に参加させた元軍人か諜報員と思われるアーミテージは、作戦の物理的行動要員として、モリイという女も雇う。モリイは両目の周囲をミラーシェードで覆い、神経系の反応を高め、人体に武器を仕込ませた生きた兵器である。
 アーミテージの指揮を受けながら、ケイスとモリイは正体の分からない作戦、そして、大きな陰謀の中心軸になっていく。それぞれの生命をかけながら。
 未来都市の千葉、工業エリアのボストン・アトランタ・メトロポリタン軸帯、イスタンブール、そして、高軌道上と、舞台を移しながら、語られることのない悲惨な戦争の後に繁栄した社会を歩いていく。

 本書「ニューロマンサー」に書かれている未来像は、その後のSFや映画「マトリックス」をはじめとする作品群に大きな影響を与えた。そして、サイバーパンク運動というSFの潮流を起こし、今もその影は残っている。
 統制されない科学技術の無制限で欲と利害に方向付けられた発展と、その中での個人、企業、社会の変化が描かれはじめる。それは、明るい未来ではないが、絶望する未来でもない。なっちゃったところで人は生きるしかないという、諦念に似た感覚、空気、においである。そういう感じが、80年代から90年代にかけてSFやそれ以外の作品を支配していた。実際のところ、日本でもバブルやバブル後の社会の中で、変化そのものに対しての抵抗を失い、変化に対応することだけを人々が模索するようになった。流れを変えるのではなく、流れにいかに乗るかという考え方だ。
 もちろん、ギブスンがそういう考え方を持っているわけでなく、本書の中でも、人間兵器であるモリイの言動の中にモラルについての考え方が繰り返して語られている。

 本書「ニューロマンサー」で書かれている技術は、現在のところ完成していないものが多い。高軌道社会や人体融合型のマン・マシンインターフェース、冷凍睡眠技術、マトリックスのようなバーチャルリアリティ、あるいは、厳重な管理下におかなければならないような人工知能…。
 一方で、このころからは考えられないような事態も起きている。コンピュータウイルスや関連する負のソフトウエア技術、ネットワーク攻撃技術である。もちろん、コンピュータウイルスと同様なものは1980年代には登場しているが、これほどまでに爆発的な発展を遂げるとはさすがのギブスンも予想していなかったであろう。
 これこそ、統制されない科学技術の無制限で、欲と利害に方向付けられた発展、であるのだが。

 いずれにせよ、本書「ニューロマンサー」は、80年代を代表し、20世紀末を象徴するSF作品であり、将来にわたって評価され続ける作品であることは間違いない。ぜひ、ご一読を。


ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞作品


(2006.7.15)





TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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