はるの魂 丸目はるのSF論評
テレポートされざる者
THE UNTELEPORTED MAN
フィリップ・K・ディック
1966
ここに2冊のディックの小説がある。1冊は、本書「テレポートされざる者」でサンリオSF文庫から鈴木聡訳、1985年8月に発行されている。現在は、もちろん絶版。入手も困難であろう。もう一冊は「ライズ民間警察機構」で創元SF文庫から森下弓子訳、1998年1月に発行されている。東京創元社のWEBによるとこちらも在庫はないようである(2006年7月現在)。この「ライズ民間警察機構」には副題がついていて「テレポートされざる者・完全版」となっている。実は、「ライズ民間警察機構」と「テレポートされざる者」は同じ作品をルーツとする異本である。このあたりについては、「ライズ」の方の解説で牧眞司氏が詳細な解説をつけており、いきさつや、どこがどう違っているのかを明らかにしている。かいつまんでまとめておくと、1964年に“THE UNTELEPORTED MAN”が雑誌で掲載される。単行本化向けに1966年にディックが主に後半部分を書き足すが、お蔵入りになり64年版だけで発行される。その後、ディックは完全版をつくる契約を出版社と結ぶ。しかし、1982年にディックが死ぬ。そこで、代理人らは1983年に、1966年までに書かれた“THE UNTELEPORTED MAN”をアメリカで出版するがそのうち3カ所の原稿が欠落していた。それが、本書「テレポートされざる者」(原題“THE UNTELEPORTED MAN”)である。
一方、イギリス版として出版準備をしているところで、ディックが大幅に改稿し、タイトルも予定されていた“LIES,INC”としていた原稿が発見される。これにも欠落があったため、ジョン・スラデックが2カ所補筆した。それが、創元の「ライズ民間警察機構」である。ところが、その後ディックの遺稿の中の別の原稿中に4枚の原稿が見つかり、それが、「テレポートされざる者」の欠落3カ所に該当することが判明し、1985年にディックの研究レターに発表された。
そこで、「ライズ民間警察機構」には、この欠落部分も訳出されている。
なんともややこしい話ではないか。
そして、ディックらしい逸話ではないか。
ディックは、読むたびに、あるいは開くたびに内容の変わるテキストをたびたび小説の中に登場させ、それを読む登場人物に、なんらかの影響を与えている。本書「テレポートされざる者」にもそんなテキストが登場する。「ブラッド博士の、真実にして完全なる、ニューコロナイズドランドの経済と政治の歴史」である。まるでこのテキストのように、ディックの小説もまた変容し、読む者に影響を与えていく。
結局私は、80年代に「テレポートされざる者」を読み、その後90年代に「ライズ民間警察機構」を読んだが、その際には「テレポートされざる者」が実家の本棚に眠っていたため、その違いを思い出すことができず、今、ようやく、この2冊を並べて順番に読み始めたところである。しかも、私のざる頭は、まず、「テレポートされざる者」を読み始め、途中まで読んだところで、「ライズ民間警察機構」のことを思いだし、ひっぱりだして、このいきさつをようやく思い出した次第。そうして、訳者は異なるものの、まず、欠落部分のある状態でサンリオ版を読み、その後、創元の「ライズ」のおまけについていた欠落部分を補って読み直し、そうして、この原稿を書いてから、「ライズ民間警察機構」を再読しようと計画している。きっと、「ライズ」の方を読んでしまうと、今のような原稿は書けなくなるだろうから、今、書いておくのだ。
まったくややこしい。
さて、「テレポートされざる者」だが、地球は国連(UN)に支配され、大きな企業群が勢力をほこっている。2014年、星間運輸会社を所有するラクマエル・ベン・アップルボームは、商売敵のTHLが父親に貸した借金の取り立てに追われていた。THLは、フォーマルハウト系第九惑星「鯨の口」への片道テレポーテーション技術により、70億人にもなって人口のあふれる地球からの移民を行う事業で潤っていた。鯨の口は豊かな土地と動植物にあふれる魅力ある土地であると宣伝されていた。しかし、誰も帰ってきたものはいない。テレポー技術は地球から鯨の口への一方通行なのだから。THLは、アップルボームが持つ唯一の恒星間宇宙船を借金の弁済にするようラクマエルに迫る。しかし、ラクマエルは、鯨の口の豊かさは偽物ではないかとにらみ、宇宙船でひとり片道18年の旅に出て、真実を探そうとした。そのために、私設警察代理店ライズ株式会社に保護と援助を依頼する。UNの横暴に悩んでいたライズの経営者マットソン・グレイザー=ホリデイは、このラクマエルの申し出を受け、自らも部隊を出して鯨の口に潜入しようとする。
そして、彼らが鯨の口で見た真実とは?
読者が読み取った真実とは?
何が起こっていたのだろうか?
それは、読んでもらうしかない。なぜならば、ラクマエルは“敵”の罠にかかり、LSDのトリップやパラレルワールドへの移転、タイムスリップ、さらには、ブラッド博士のテキストなどにより得た情報しか体験できないからだ。そして、読者も、ラクマエルや数人の登場人物の混乱した情報しか読むことはできない。
ひきずりこまれるディックワールド。
ただ、本書「テレポートされざる者」のラストシーンには、同時期の「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」や「最後から二番目の真実」「火星のタイムスリップ」に見られる絶望の中の希望や、絶望の中でみる人間の弱さの中のたくましさ、無駄だと分かっていてもやるべきことをやろうとする力を読み取ることができる。ラストシーンは、「ライズ民間警察機構」とは大きく異なっている。
さて、では、「ライズ民間警察機構」に手を付けることとしよう。
(2006.7.18)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
(スパム防止のため、全角表記にしています。連絡時は、半角英数にてお願いします)
●作家別●テーマ別●執筆年別
トップページ