はるの魂 丸目はるのSF論評
カウント・ゼロ
COUNT ZERO
ウィリアム・ギブスン
1986
「ニューロマンサー」を再読したついでに、ギブスンの三部作を読み直そうと思って探したみたが本書「カウント・ゼロ」が私の手元になかった。「ニューロマンサー」も、本書の続編「モナリザ・オーヴァドライブ」も初版であるのに、だ。
日付と記憶をたどってみる。
「ニューロマンサー」は、1986年7月に邦訳初版がでている。大学生である。なるほど。
「モナリザ・オーヴァドライブ」は、1989年2月に邦訳初版がでている。ちょうど、最初の就職先を退職した直後のことである。なるほど。
本書「カウント・ゼロ」の邦訳は1987年9月。原著から1年少々で翻訳出版されている。そうかあ、最初の就職先でとても忙しかった頃じゃないか。
買って読んで、その後、どこかにやってしまったのか、それとも読んでいないのか…。
今となってはどうしようもない忘却の彼方である。20年前の話だ。
しかたがないので、900円+消費税5%を払って、「カウント・ゼロ」を購入。2003年6月の第10刷となっていた。あの当時は、消費税もなかったし、ISBNコードはついていたが、バーコードなんて無粋なものはついていなかった。
80年代のことである。
1987年9月といえば、バブルの絶頂期である。忙しかったなあ。
ブラックマンデーで株式が暴落するのはこの年の10月である。その後もバブルの余韻は続いたが、次第に円高ドル安が進み、日本は株式/不動産バブルから、世界の円高バブルに取り込まれることになっていく。
ま、いいか。
本書「カウント・ゼロ」は、「ニューロマンサー」から7年後の世界と電脳世界を描く。下層の希望もない町バリタウンに生まれカウント(伯爵)ゼロのハンドルを自称するカウボーイに憧れる少年ボビイ・ニューマーク。今風に言えば、ハッカー(クラッカー)に憧れてる厨房といった風。ある不正ソフトを入手し、電脳空間に没入するが、すぐに大きなシステムにつかまって死にかける。それを救った電脳の中の不思議な少女。ボーイ・ミーツ・ガールである。
電脳空間はいまや不思議な存在の噂に事欠かず、神々の存在さえ噂されていた。
そして、少女。
生体チップの独占的企業マース=ネオテクの研究者の娘、アンジェラ・ミッチェル。接続しなくても電脳空間を夢としてとらえることのできる少女。
彼女がマース=ネオテクから離れ、そして、事件が起こる。
一方、マース=ネオテクの買収に失敗し、永遠の電脳的生を望む企業オーナーと、彼の網の中に巻き込まれた美術評論家の女がいる。
電脳空間のなにか、をめぐって、それとは関係なく動いているはずの登場人物達がそれぞれの意志となりゆきで物語が進む。中心が見えないままに、中心に向かって人々が動く。
現実ってそうじゃないか?
あとになり、別の枠から見れば、どこに中心があって、それに向かって人々が渦を巻くように動いていたことに気づく。でも、その渦の中で動いているときには、どこに向かっていこうとしているのかを知ることができない。
ときには、大きな渦の中にいることを、気配として知るものがいる。
そんな気配。
ウィリアム・ギブスンは「気配」の作家である。
80年代に見つけた、かぎとった「気配」が、本書にはある。
本文に入る前の扉で、ギブスンはテクニカルに説明する。
「カウント・ゼロ・インタラプト
割り込みを受けたら、計数器の値を
ゼロまで減少させる」
コンピュータの基本的な命令のひとつである。
私たちも、もしかしたら基本的な命令(動作仕様)によって渦から逃れられないのかも知れないじゃないか。
(2006.08.01)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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