はるの魂 丸目はるのSF論評


スロー・リバー
SLOW RIVER

ニコラ・グリフィス
1995


 近未来、イギリス。大企業オーナー一族のもっとも若い娘の誘拐。身代金が払われず、屈辱的な姿で泣く彼女の姿がメディアに流れ続ける。遺伝子組み換え微生物と、その培養原料の特許で世界各国の土壌や水質汚染を浄化し、それで財をなした一族。自らも遺伝子組み換えを行い、長命とガン抑止を一族にもたらす。逃げ出した彼女は、ひとりの女に救われる。IDを偽装し、無記名カードのデータを抜き取り、情報を盗み、売り、ゆすって生きる自由な女。一族の元へは帰れないことを自覚した娘は、彼女の元で暮らし、生きはじめる。父親に変わる庇護者の元で。彼女は庇護者であり、恋人でもある。やがて彼女の元をはなれ、偽装したIDで彼女の得意な知識を生かして、下水処理場に、まっとうな職を得る。自立、娘が求めたもの。誰の庇護も受けず、自立して、ひとりで生きていく。誰でもないひとりの「わたし」として。しかし、事件は起こる。そして、彼女は、「わたし」を、一族も、過去も、現在も含めても自立できる存在をつかまえる。

 生体埋め込みチップによる管理社会。早く激しいデータフローによる高度情報化社会。IDやITからこぼれ落ちた人たち、統計の中で処理される公害や紛争に巻き込まれ何もかも、生命も身体も尊厳も奪われた人たちがいる。
 そんな社会の頂点にいた主人公のローアが、最下層を知り、そこで生きる術を身につけていく。

 ニコラ・グリフィスは女性作家であり、自ら同性愛者であることを表明している。本書「スロー・リバー」では、その社会観を作品に折り込みながら、下水処理という視点から空気、水、土壌の化学物質等による汚染と浄化を、迫真の筆致で描き上げ、独自の「近未来」像を見せている。
 この近未来像は、サイバーパンク運動以降にみられる、科学技術の進歩と人間社会の変容、荒廃を描いた作品群と共通する空気を持っているが、その中に、ニコラ・グリフィス独自の「人間くささ」が描かれており、それが物語を深め、おもしろくしている。
 作品に流れる癖のあるウィットとユーモアは、彼女がイギリス出自であることを示すのだろうか。どこかに人間に対する冷徹さと優しさがあって、それが作品の魅力である。

 同性愛やサブカルチャーに眉をひそめる人はまだまだ多い。誤解に基づくものも多くあるし、それが、管理社会から距離を置いた者たちすべてを同一視することによるものであることも多いだろう。しかし、管理社会の申し子のような企業人たる男性諸氏であっても、その内実には様々な姿があり、社会的に許容される内実から、反社会的な行為を含む内実まで様々であろう。日常的に他者を知りうるのは、その他者がつけているペルソナ(社会的仮面)であり、別のペルソナを知ることは少ない。サブカルチャーに分類される人・もの・ことは、本流たる社会・文化の鏡でしかない。個人のペルソナと変わるところはない。
 偏見や差別を持つということは、そんな鏡の片方の像を拒絶しているに過ぎず、自分自身を認めないのと同じだ。自分自身の別のペルソナを否定すると、その内実に近いペルソナは反社会性を増す。そして、そんなペルソナを見せられる相手は近しい人か、まったくのゆきずりとなる。
 近年、多発する「いまわしい」とされる犯罪の多くに、今言ったような、自らの内実の否定による反社会的なペルソナの影を見ることができる。
 本書ではこの構図を、幼児期の「虐待」として描きだしている。
 その点でも、本書は近未来を正しく予見している作品である。
 本書が描くように、もちろん、サブカルチャーにもドラッグなど暗い面はある。本流の社会・文化にあっても、暗い側面は生まれる。
 一部の暗い側面をあげて、サブカルチャーの創造的一面を否定するのはばかげている。

 私たちは、日々激しい川の流れに生きている。
 本当の川を想像して欲しい。川の流れは水源から海に注ぐまで決して一定の早さではない。時に早く、時にゆっくりとなりながら、最後にはゆるやかに海に注ぐ。多くの生命を育むとともに、人類が投げ入れるすべてを受け入れながら。
 含蓄のあるスロー・リバーのタイトルをかみしめたい。

 そうそう、作品中にババガヌージュが登場して、主人公が子どもの頃を思い出しながら黙々と食べていた。あれはおいしいのだ。ということで、この料理が得意な同居人がなすを焼きはじめている。


ネビュラ賞受賞作品

(2006.09.02)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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