はるの魂 丸目はるのSF論評


アラクネ
ARACHNE

リサ・メイスン
1990


 20世紀終わりから21世紀初頭にかけての技術革新の中心にはインターネットとコンピュータ技術の急激な進歩があった。AIについては、80年代から具体的な経済行為として考えられていたが、今を持って「人工知能」を名乗るにふさわしいAIは登場していない。
 また、インターネットの萌芽期には、早い時期に電脳化社会が訪れ、一定の人格や体験のシミュレーションも可能になると考えられてきたが、それも開発途上である。
 しかし、SFの世界では、80年代後半から爆発的に人工知能とサイバー空間社会についての外挿がなされ、まるで規定路線であるかのうように、同じような外挿条件のSFが席巻した。そのあるものは、サイバーパンクと呼ばれ、サイバーパンク運動に位置づけられ、あるものは、未来予想的SFとされ、あるものは、あたりまえのふつうのSFとして受け入れられ、そして、その多くが忘れ去られていった。
 忘れられた作品の多くが、近未来的過ぎたため、その技術的でこぼこ感を超えるほどの体力を持たなかったからである。
 本書もまた、忘れ去られる1冊になるのかもしれない。
 決して、おもしろくないというのではない。
 むしろ、本作品に登場するユング的共通する無意識的存在=「原型」は、「ゴースト」、あるいは、「魂」などとして、他の作家の作品とも共通するもので、それを、サイバー空間における電気的な障害として描き出そうとするあたりは、一読の価値がある。

 物語は、最新の遺伝子組み換えとクリスタル出産、早期の強化教育と電脳手術によってエリートコースを歩んできた25歳のカーリー・ノーランを主人公にする。若く、理想と欲望と出世欲に満ちたカーリーは、新進弁護士として大手弁護士企業に就職し、はじめてひとりだちする経済事件を担当していた。しかし、彼女は電脳空間で行われる初公判の際に、電脳空間からなぜか強制離脱してしまう。心理的な障害か、機械的な障害か、不安にかられるカーリー。このままではせっかくつかんだ出世コースのチャンスも、エリートとしての生活も失ってしまう。なにより、彼女はジェニー・遺伝子組み換えされた生まれついてのエリートのはずなのに。
 物語は、もうひとり、おんぼろではあるが、独立しているAIの電脳空間境界探査士を迎える。彼女は、その代名詞通り、初期プログラムで女性性を与えられ、電脳空間で人間と電脳空間の境界を探査する仕事を続けるうちに、「超越」に憧れるようになる。単なるプログラムの集積であるAIから、人間と同じように生命の創造性を持つ存在への「超越」。そのためには、電脳空間にいる生きた人間の、電脳空間からはみだしたかけらを見つけ、それを取り込めばいいと、彼女は信じていた。
 大地震により、一度は壊滅したサンフランシスコには貧困と暴力と、そして、権力と金持ちが極端に二層化し、その格差を見せつけていた。
 AIは、次第に低所得者の労働や中所得者の労働を奪い、電脳空間に入り、その力をふるえるものこそが、世界を支配することができる。そんな社会に、人間以上であるはずの人間と、人間に憧れを持つAIが、それぞれの望みを持ちながら交差する。

 ほら、おもしろそうでしょ。期待は裏切らない作品である。
 ただ、書かれた時代が時代である。
 円が強くて、日本が強かったり…バブルはじけてスーパー円高の頃だもの。
 香港が返還されて、難民がサンフランシスコに大量移民していたり…香港返還前ですからね。
 四倍密度のフロッピーディスクが現役だったり…まあねえ、こんなに記録媒体が安く、小さくなるなんてねえ。思わなくてもしかたないかなあ。
 世界貿易センタービルがあったり…これは、本作品の予知能力の範囲を超えているが。
 ストーリー上での電脳空間や実社会の変化が早ければ早いほど、こういう小さな時代的ギャップがつらい。
 もっとも、あと20年も経てば、そういうずれも古くさくなって、もっと気楽に読めるのかも知れない。昔の作品として。

 ところで、ユング的無意識の「原型」や、現在のところ人間しか持ち得ないとされる「ゴースト/魂」について、SFはいまだ扱いあぐねている。
 脳を破壊的にスキャンすることで、電脳空間に「ゴースト/魂」ごとアップロードしたり、もっと進んだのでは、肉体のコピーと、精神・記憶・思考のバックアップをとって死んだら再生したりする作品はあるし、その中で、たまたまふたつの「自分」が共存するはめになる作品もある。エンターテイメント性が高い作品は、このあたりを軽くいなしているが、ちょっとでも思弁的作品になると、このあたりの描き方が作品のできを左右したりする。  本作「アラクネ」は、AIとジェニーの対比と葛藤を通して、遠回しにそれを描こうとしている。果敢な取り組みである。それがうまくいっているかどうかは、ぜひ作品を読んでみて欲しい。

(2006.09.06)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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