はるの魂 丸目はるのSF論評


ダイヤモンド・エイジ
THE DIAMOND AGE

ニール・スティーヴンスン
1995


 ナノ・テクノロジーの時代。ダイヤモンド・エイジと呼ばれる時代が到来した。近未来の地球。もし、あなたが出自に恵まれず、言葉や社会的生活方法を学ぶことができず、仕事もなく、かろうじて日々を暮らすだけだったとしても、お金を持っていないとしても、それでも、あなたは食べていくことはできる。MCがあるからだ。MC、すなわち物質組成機。汚れた大気と水を浄化する過程で取り出された微量物質と、大気、自ら生成されるあらゆる物質。食べものから、被服まで。町にはいたるところに無料の公共MCがあり、持たざるものに、最小限の必要物を生成してくれる。文字が読めなくても、象形メディア文字であれば、自然と覚えてしまうだろう。動きのある象形文字ならば、あなたがしたいこと、してはいけないことを教えてくれる。
 ナノ・テクノロジーはすべてを変えた。産業、生活、価値観、秩序、倫理、道徳、思考形態…。コンピュータとインターネットとナノテクは、人々からすべてを奪い、そして、与えた。文字は動き、本は語りかけ、微小な人工物が空中をさまよい、人々にとりつき、とりついた物を排除し、人々をつなぎ、変質させていく。
 賢き人は、コマンドを唱え、紙から光を放ち、遠くの出来事を知り、海より新たな大地を興し、一夜にして塔を建て、術をふるう。それは、魔法であり、地球は魔法の星と化した。
 ナノテクとインターネット的経済行為によって、国家=政府は破壊された。収入のない国家は破綻するほかなく、国家の収入とは国民と企業からの税収であるからだ。経済行為に国境が意味をなさなくなり、近代国家は消滅した。そして、新しい政府、グループ、体制が生まれる。自らの思想信念、社会理念に基づくグループ。人種に基づくグループ。技術体系に基づくグループ…。そのいくつかは、クレイブ=国家都市と呼ばれ、いくつかは、シンセティック・ファイリー=代用種属と呼ばれた。
 舞台は、かつて中国と呼ばれた土地の沿岸産業地帯。主要なクレイブが集まり、その周辺にはシートと呼ばれる貧困層が集まる。

 そこにひとりの少女が生まれる。父親は、生まれた頃に死んだ。母親が連れてくる男の多くは、少女とその兄を虐待した。母親は、子どもをそこに住まわせていただけだった。少女の兄は、妹思いだった。彼は、家から出かけては、幼い妹のために何かを持ち帰った。ある日、兄である少年のグループは、ひとりの裕福な男を襲った。そして、一冊の本を手に入れた。兄は、その本を妹に渡した。本は、少女を認識し、少女に言葉を教え、生きる術を教えはじめた。
 そして、少女は、選ばれた者として、歴史に残る人物になるであろう。きっと。

 もう10年以上前の作品である。2006年の時点で考えれば、ナノテクの進捗はまだまだだし、むしろバイオテクノロジーによる変化の影響が大きくなりがちである。また、インターネット社会は、今のところ既製の国家や経済システムの中に順応しており、国家=政府を破綻させるまでの爆発力を見せていない。今のところは。しかし、コンピュータ&インターネットテクノロジー、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーに象徴される20世紀終わりからはじまった技術革新の波は、今押し寄せてきているところであり、そのスピードはますます速くなっている。
 また、それらのテクノロジーは、これまでの国家や社会を破壊するまでの爆発力を持たないが、国家も、また、その国家やシステムに抗する者も、テクノロジーを活用し、これまでにない力を発揮している。
 その行く末は見えていない。
 20世紀終わりの10年間、SFは、これら近未来を見据えようという作者達の積極的な取り組みがなされた。本書「ダイヤモンド・エイジ」もまた、そのひとつの視点の提供として、大きな反響をもたらした。
 これから、10年後、20年後、50年後、世界は大きく変わるとともに、変わらない部分もあるであろう。すくなくとも、10年前からは予測のつかない今があり、予測のつかない10年後があるだろう。誰が、911とアメリカによる対アフガニスタン、イラク戦争を、BSE(vCJD)の深刻な影響を予想したであろうか。急激な気象の変化を予想したであろうか。予測をしているにせよ、インフルエンザ・パンデミックの危機が実際どのようなものになるか、起こってみなければ分からない。
 しかし、私たちには、想像することができる。おびえずに前に進むこともできる。立ち止まって考えることもできる。必要なのは、思考停止に陥らないこと、そして、今自分がいる場所を確かめること。
 少女ネルの成長の旅と、物語に登場してくる者たちの探索の旅は、そのことを伝える。
 それは、いつの時代も変わらないのだ。

ヒューゴー賞・ネビュラ賞作品

(2006.10.01)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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