はるの魂 丸目はるのSF論評


殺意の惑星
PLANET OF THE DAMNED

ハリイ・ハリスン
1962


 人類は宇宙に拡散し、それぞれの植民惑星で繁栄した。しかし、その後、人類は大崩壊の時を迎え、各植民惑星はそれぞれの力で命と文明を維持するほかなかった。へびつかい座七十番星の惑星アンヴァールは幸いなことに自立できる食料を調達できた。辺境のあったため、もともと星間貿易にも恵まれず自給自足ができていたからである。しかし、惑星アンヴァールは厳しい惑星でもあった。780日の1年の大半は太陽から離れた厳しい冬の季節を過ごし、わずか80日ほどの短い夏にすべての動植物が活動し、繁殖する。アンヴァールの人類、アンヴァール人もまた、この自然にあわせて適応進化した。冬の時期は厚い皮下脂肪層と長い睡眠で耐え、急激な夏に代謝を上げ、汗腺を活発にし、そして、睡眠中枢が抑制されて、短い夏に狩りをし、作物を収穫し、そして、長い冬に向けて保存するのだ。そのため、アンヴァール人は夏と冬では性格も大きく異なる。そして、退屈な冬の間、アンヴァールの文化は、二十種競技という妙案を編み出し、それに向けてすべての人々が熱中する。二十種競技は、スポーツと知的ゲームを組み合わせた競技会で、毎年ひとりの優勝者を選ぶ。それこそが、700日におよぶ長い冬の退屈と精神の防いできたのだ。そして、知的にも肉体的にも優れ、エンパシー能力さえも持った超人を生み出すことにもなった。
 今年の優勝者ブライオンは、元優勝者イージェルによって惑星外に連れ出される。エリダヌス座イプシロンの第三惑星ディスと惑星ニーヨルドの惑星間戦争の危機を防ぐためである。ディスの人類は、コミュニケーションを失い暴力に満ちたディス人となり、一方、ニーヨルドの人類は、争いを知らず知的精神を拡大させたニーヨルド人となっていた。本来なら相まみえることのない2種属だが、ディス人が惑星を崩壊させる力を持つ兵器を入手し、ニーヨルドへの侵攻を求めたため、ニーヨルド人は、冷静に対応し、その結果、ディス人を滅ぼすという決定を下したのである。いくら暴力的なディス人といっても、彼らもまた人類の末裔であり、惑星ディスに適応した知的生命体でもある。このどちらであっても大虐殺になる事態を止めるため、イージェルは、超人であるブライオンと、地球人の宇宙生物学者兼人類学者の女性であるリーの3人が惑星ディスに乗り込んだ。ニーヨルド人によるディス人の全滅兵器の使用まで残り時間は数日。果たして彼らはこの危機を回避できるのか?

 本書「殺意の惑星」は、エコロジーテーマの作品とされる。アンヴァール人、ディス人、ニーヨルド人、そして、地球人。いずれも、同じ人類であるが、数世紀を経てそれぞれの惑星に適応し、独自の文化、心理、身体状況をつくりだしている。まあ、数世紀でそんなに変わるものではないが、そこのところはご愛敬。その中で生まれた超人と、地球人のヒロインが惑星間戦争の危機を止めようとするのである。ディス人はどうして暴力的なのか? アンヴァール人はどうやって長い冬を耐える二十種競技を生み出したのか? ニーヨルド人はどうして暴力的な意識を捨てることができ、そのニーヨルド人にして論理の末にディス人を絶滅させるべきという恐ろしい発想に立つことができたのか?
 1960年代のSFであり、その科学的なつっこみは弱いが、生存に欠かせない環境条件が、人間の精神や社会、行動、身体に大きく影響を与えるという視点で書かれている点が「エコロジーテーマ」であり、本書のおもしろさである。もちろん、超人と暴力的な人類が出てくるわけで、そのアクションシーンも欠かせない。往年のアーノルド・シュワルツネッガーに配役したいような主人公のブライオンである。その点で楽しく軽く読むことができる。
 本書「殺意の惑星」は、1978年6月にハヤカワ文庫で登場している。私は古本で、1974年に発行されたハヤカワSFシリーズ(銀背)を手に入れている。もちろん、どちらも絶版であるが、最近はこういう軽く読めるSFが減っており、重厚長大作品ばかりになっているので、今再版する価値はあると思う。設定などは古くさいが、映画のシナリオといってもおかしくないぐらい、バランスのとれたよくできた作品である。


(2006.11.12)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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