はるの魂 丸目はるのSF論評


2010年宇宙の旅
2010:ODYSSEY TWO

アーサー・C・クラーク
1982


 1968年、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリック(クーブリック)は、映画と小説で「2001年宇宙の旅」を公開し、世界に衝撃を与えた。この映画と小説は、2001年を過ぎた今でも色あせることはない。
 しかし、クラークにとって、キューブリックとの共同作業は、かなり神経に応える作業であったらしい。小説版も発表までにはキューブリックとの権利関係等もあり、内容の確認を得るまでに時間がかかったという。それでも、小説版はクラークの小説らしく、映画版はキューブリックの映画らしく仕上がり、どちらもすばらしい作品であった。
 さて、そのキューブリックはとうにこの世を去り、一方、巨匠クラークは、本人の予想以上に長生きしている。

 本書「2010年宇宙の旅」は、そのクラークが、1982年に発表した「続編」である。さて、この「続編」であるが、何の続編かというところがまず、第一のポイントである。本書「2010年宇宙の旅」は、映画「2001年宇宙の旅」のシナリオを受けた形で、その「続編」的な作品となっている。小説版「2001」の最終目的地は土星の衛星であり、映画版は木星の衛星であった。また、小説版では、スターチャイルドになったボーマンについて詳しく書かれており、ディスカバリー号の人工知能HAL9000についても、なぜ「狂った」のかについて書かれていたが、映画版では、その性質上、そのあたりはつまびらかにされていなかった。
 そこで、クラークは、読者の要請を受けるという形で、本書「2010年宇宙の旅」をしたためることになったのだ。しかし、そこはそれ、クラークである。「2010年宇宙の旅」は、小説版、映画版「2001年宇宙の旅」との多少の齟齬や設定の違いがあると、「はじめに」で明言している。それは、1968年から1981年までの科学的な発見や技術的な変化を受けて書かれているからである。
 クラークいわく「もちろん、それも二〇〇一年にはふたたび時代遅れになってしまうのだろうが…」と書いているが、なかなかどうして、読み応えのあるものであった。

 2006年の今日は、2001年を過ぎ、2010年には届かない微妙な時期である。ところどころに古くなった技術や社会があり、そして、あいかわらず「うらやましい」宇宙像が描かれている。

 さて、本書「2010年宇宙の旅」であるが、主人公は「2001」で最初に登場したヘイウッド・フロイド博士である。2001年の出来事で乗務員を全員失ったことへの失意の内に、最前線を引退し、ハワイ大学学長としてゆったりと過ごしていたフロイド博士は、予定されているアメリカのディスカバリー号サルベージ計画を遠い関心事にしていた。しかし、ロシア(ソ連?)側が、木星衛星軌道上のディスカバリー号が予想外の動きをして、衛星に墜落する可能性を示唆、アメリカ側の計画では間に合わないことを明らかにするとともに、ロシアが建造した宇宙船アレクセイ・レオーノフ号にアメリカのフロイド博士ら3人を乗船させ、共同でサルベージする計画を提案した。その提案をうけてフロイド博士らはロシア船に乗り込み、木星をめざす。途中、科学技術的鎖国を続ける中国の宇宙船の追い上げなどもあり、緊迫するが、結果的にはレオーノフ号がディスカバリー号に到着、HAL9000を再起動、再教育していくとともに、ボーマン失踪の原因となった巨大なモノリスの探査をはじめる。
 しかし、彼らが想像も絶するような出来事が起こり、地球、地球人は、自分たちの宇宙観を変える事態になったことを知らされるのであった。

 そして、エピローグは20001年。人類はいまだ存続しているようである。

「2001年宇宙の旅」も壮大なお話しだったが、この「2010年宇宙の旅」も壮大なお話しである。今回の主役はなんといっても「木星」だ。木星の大きさ、偉大さ、想像を絶する世界が見事に書き描かれている。このクラークの想像力、描写力に乗って、宇宙の大きさや不思議さを楽しむことができるだろう。
 すくなくとも、いまだ木星は未知の領域にあるのだから。

 ところで、クラークと「予言」はいまだ縁が切れない。本書では、2005年に大きな津波があり、ハワイ諸島にもおしよせたらしい。このあたり、2004年末のスマトラ沖の大地震と津波を思わせる。こういうエピソードの予言力もまた、クラークのすごさを物語る。

(2006.11.18)



TEXT:丸目はる
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