はるの魂 丸目はるのSF論評
3001年終局への旅
3001: THE FINAL ODYSSEY
アーサー・C・クラーク
1997
1997年に発表され、同年7月には翻訳し、販売された「3001年終局への旅」。早川書房の海外SFノヴェルズとしてハードカヴァーで出され、けっこう売れたらしく私の手元にあるのは1カ月後の第三版である。
むつかしいことは言うまい。「2001」「2010」「2061」ときて、「3001」である。未来だ。まぎれもない未来である。人類は人類で、地球は地球だが、その様はずいぶん変わっている。しかし、そこはクラークであり、理解不能な人類でも、理解不能な地球でもない。
そこに登場するのは、「2001年宇宙の旅」で死んだフランク・プール中佐である。ハルの裏切りにより、ディスカバリー号での船外活動で事故にあい、そのまま宇宙空間に放り出された、あのフランク・プール中佐である。彼が太陽系の片鱗で見つけられ、回収され、そして、組成された。その年こそが3001年であった。
1000年の未来に再生したプールは、私たち20世紀人に31世紀の科学、生活、思考について自らの体験をもってガイドしてくれる。
この1000年に何が起こり、国家は、宗教は、戦争はどうなったのか? 科学は、何を見つけ、技術は何を可能にしたのか。人々は、何を食べ、何を楽しみ、どう生きているのか。
もちろん、太陽系の謎、モノリスの謎も忘れてはいない。
モノリスに取り込まれたボーマンは、どうなったのか。
太陽系はどうなるのか。
モノリスを作った存在は、その後、人類と接触するのか、それとも人類をこのまま見守るだけなのか?
本書「3001年終局への旅」は、老齢となったクラークが、他の作品とは異なり、この作品だけは自分の手で書き上げると宣言し、書ききった作品である。それは、科学と人類に対するクラークの希望であり、メッセージである。
おそらく執筆中に起きたであろう「オウム真理教の地下鉄サリン事件」も、作品には20世紀の宗教という恐るべき愚行のひとつとして直接的ではないが言及され、現実世界と小説との接点をクラークが見つめていることをうかがわせる。と同時に、さりげなく、スーザン・キャルヴィン博士がマシンプログラマーとして言及されているあたり、遊び心も失っていない。(そう、クラークは、ハインラインよりも、アシモフよりも長生きしている。それゆえの役得である)
2006年12月現在、クラーク氏は、スリランカにて健在である。2006年12月、スティーヴン・ホーキング博士が人類は、地球での人為的、偶然的な壊滅的出来事による絶滅を避けるため、宇宙旅行と他の惑星の植民地化が必要と、インタビューに答えている。
クラークの強い意志は、20世紀後半の科学、技術者に動機と意志を与え続けている。
(2006.12.6)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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