はるの魂 丸目はるのSF論評


高い城の男
THE MAN IN THE HIGH CASTLE

フィリップ・K・ディック
1962


 時は1962年。第二次世界大戦後15年後のサンフランシスコ。先の大戦は1947年、アメリカに分割協定線が引かれ、幕を閉じた。アメリカの太平洋側諸州は日本、大西洋側はドイツが実効支配するもうひとつの1962年。サンフランシスコには輪タクが走り、日本人の趣味はアメリカの戦前の文化物を収集することであった。
 ドイツは、化学重工業を発展させ、アフリカでの大量虐殺を覆い隠すかのように、月、火星、金星へと宇宙開発の道を突き進んでいた。しかし、ボルマン首相の健康不安説がささやかれ、ゲッベルス博士が首相になるのではないかと、政争の予感に満ちていた。一方、日本はドイツとの間の緊張の高まりを感じながらも「大東亜共栄圏」建設のために彼らなりの論理を押しすすめていた。
 サンフランシスコ第一通商使節団代表の田上信輔は、ドイツの同盟国スエーデンからプラスチック事業の交渉という名目で来訪するバイネス氏をつつがなく迎えるべく心を砕いていた。彼は、言葉通りの人間ではなく、なんらかのスパイであり、日本とドイツの関係にとって重要な情報をもたらす人物かも知れないのだ。田上は易教の易を立てて道を占った。
 ロバート・チルダンはアメリカ美術工芸品商会を経営し、アメリカの古物を日本人に売りさばいていた。田上氏は上顧客のひとり。そして今、若い日本人の夫婦を客として迎え入れることができ、新たな商機が開かれようとしていた。一方で、彼は自分が取り扱っていた商品の一部が「まがいもの」であることを知り、驚愕する。
 フランク・フリンクは仕事を失った。妻に逃げられ、仕事を失ったが、サンフランシスコを離れるわけにはいかない。彼はユダヤ人であることを隠して生きているから。もし、ユダヤ人であることが分かれば彼はドイツに引き渡され、そして殺される。それを防げるのは日本政府だけなのだ。フランクは易を立てて道を占った。
 ジュリアナ・フリンクは柔道の教師としてコロラド州キャノン・シティでささやかに、しかし、時にゆきずりの男に身を委ねながら生きていた。今、トラックドライバーの助手でイタリア系のジョー・チナデーラと出会い、彼と新たな旅に出ることにした。彼は手元に「イナゴの身重く横たわる」という一冊の発禁書を持っていた。著者はホーソーン・アベンゼン。高い城に住む男である。発禁にしたのはドイツ政府。なぜならば、その本はドイツと日本が敗戦した世界を書いているからだ。日本では話題になっただけだが、ドイツ政府はアメリカの北部、日本側に住む作者を殺そうとやっきになっていた。この本の作者に会いに行こうかと、ジュリアナは易を立てて道を占った。

 もし、日本とドイツが支配する世界になっていたとして、世界は今よりもよくなっていただろうか? 人々は今よりも幸せで、賢く生きていただろうか。
 もし、クリントン政権のあと、2000年の大統領選挙で民主党のアル・ゴアと、共和党のジョージ・ブッシュ(Jr)のフロリダ州の選挙結果の不透明な結果がゴアに傾いていたら、2001年の「911」は起こらなかっただろうか。そして、アフガニスタン、イラクを巻き込み、対立を表面化、激化させた「テロとの戦い」は起こらなかっただろうか。
 起こらない21世紀を迎えたからといって、人々は互いに争わず、幸せに、賢くなっていっただろうか。
 答えはない。
 決定稿もない。
 ただ、今を生きるのみである。

 さて、本書「高い城の男」は1962年に発表され、もうひとつの1962年を舞台にした作品である。そのため、当時の米ソ冷戦状況、宇宙競争、核軍拡といった政治状況や、プラスチック産業など石油化学産業、自動車産業の急速な発展などの時代的な背景を受けて書かれている。そのことを理解しながら読むのと、時代性を話して読むのでは受ける印象は大きく異なるであろう。
 また、本書では、ドイツはあいかわらずユダヤ人虐殺、アフリカ人虐殺など人種的な差別と圧政を敷き、一方日本は人種的な差別がありながらもそこまではひどくなく、一種の公正さを持っているように書いてある。この本を読む際に、日本人である「私」が陥りやすい罠がそこにある。本書「高い城の男」は、ひとつの小説に過ぎず、たまたま設定として日本とドイツという戦勝支配国の中での人々の生き方を書くために両者を誇張しているに過ぎない。本書の中のドイツの位置づけを容易に日本に置き換えることは可能である。ただ、本書「高い城の男」は、アメリカ人であるディックが、第二次世界大戦中のアメリカ国内での日本人に対する人種差別政策があり、敵国であるドイツ人と日本人に対する扱いの差があったことを受けて本書のような位置づけをつけていることに注意しなければならない。
 それらを踏まえた上で、幾人かの登場人物がそれぞれの価値観から、「徳を積む」としかいいようのない行為をしていることに注目したい。人種でもなく、身分でもなく、地位でもなく、ただ人間としてできうる自分のためだけでない行為をするのだ。それがまがいものの世界に住んでいることを自覚していたディックが終生持ち続けた希望である。
 初期の作品には、ディック作品独特のめまいに似た世界観を堪能することはできないが、素直に書かれている分だけ、ディックが書きつづる「希望」のありようが分かりやすい。
 もっとも、まがいものに満ちためまいに似た世界を提示する中期、後期の作品の方が、よりささやかな「希望」に対する感動は生まれるのだが。

 疲れているときに、ディックはよく効く。


ヒューゴー賞受賞作品


(2007.02.23)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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