はるの魂 丸目はるのSF論評


ゴールデン・エイジ3 マスカレードの終焉
THE GOLDEN TRANSCENDENCE

ジョン・C・ライト
2003



「E・E・スミスをめざしたのだが、哲学的思考がつい入り込んで脱線してしまった」との作者のコメントが訳者あとがきに載っていた。まったくである。舞台装置をよく考えると、その通りであった。かたや太陽系においては戦争が存在せずありとあらゆる存在形態が許され、その存在と知的活動を謳歌する第七精神構造期「黄金の普遍」があり、かたや白鳥座X−1においては、第五精神構造期に植民し、銀河中心ブラックホールの無尽蔵なエネルギーをもって独自の豊かな世界を構成していたはずがあるときにそのすべての活動が停止したとしかみえなくなった「沈黙の普遍」があった。「黄金の普遍」は、次の千年期に向けてほぼすべての知的活動体がそのリソースを一時的に集結する「超越」の時期となっていたが、その陰に「沈黙の普遍」の密やかな侵略の陰があった。主人公のフェアトンのみがその存在を確信し、自らが作り上げた宇宙を股にかけることが可能な宇宙船「喜びのフェニックス」を取り戻し、「黄金の普遍」からも「沈黙の普遍」からも逃れて新たな旅立ちを模索する。しかし…。
「ゴールデン・エイジ」の第3巻は、1巻、2巻では見られなかった想像を絶する宇宙規模の戦いが繰り広げられる。それは精神と精神の戦いであり(アリシアとエッドールを思えばいい)、宇宙のエネルギーとエネルギーの戦いでもある。まさしく、E・E・スミスの「レンズマン」シリーズを彷彿とさせる。
 ただ、作者が自らコメントしたように、そこに「哲学的思考」が入り込み、話をややこしくする。ただでさえ、「人間」の定義が難しく、「死」の定義が難しい未来の話である。「現実」とか「仮想」といったことさえ、本書の定義によるところの「第三精神構造期」にある我々とはまったく異なる概念となっている。そこに「善」とか「戦争」といった概念が入り込むのである。もう、こりゃ、何が何だかの世界である。
 とにかくややこしい。
 もしかするとあと10年もすると、この「ゴールデン・エイジ」に書かれていることが軽く理解できる程度になるのかもしれないが。

 さて、ストーリーは、第1巻、第2巻を読み続けてきて「よかった」と思える内容である。もちろん最後はハッピーエンドが待っている。そこのところは間違いなくハッピーエンドである。アメリカ人らしい終わり方である。アメリカ人らしいというのは、ハリウッド映画的と言ってもいいけれど。
 とにかくシーンはさらに派手になるし、より人間くさくなる。もし、第1巻、第2巻を読んでいるのならば、ぜひ懲りずに読んで欲しいまとめかたである。

 それにしても、読む方も大変な作品だった。こういうことを書けるってすごいなあ。そして、こういうのを出版するアメリカって国もすごいなあ。素直にそう思う。


(2007.11.11)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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