はるの魂 丸目はるのSF論評


所有せざる人々
THE DISPOSSESSED

アーシュラ・K・ル・グィン
1974



 ハイニッシュ・ユニバース。ル・グィンが紡ぎ出した宇宙。かつて宇宙航行種属だったハイン人は様々な惑星に植民していた。しかし、ハイン人は一度衰退し、その間に植民惑星の種族達は惑星に適応し、それぞれの歴史を紡いでいた。地球人もまたハイン人の末裔であった。やがてハイン人は復興し、ゆるやかな貿易と種族間の交流がはじまる。そうしているうちにハイニッシュ・ユニバースを特徴づける新たな技術が誕生する。その名はアンシブル通信。どんなに物理的に離れていても即時に通信できるシステムである。
 本書「所有せざる人々」は、そのアンシブル通信が生まれる前の時代、恒星タウ・セティの二重惑星ウラスとアナレスを舞台にした物語である。
 ウラス人たちは、ちょうど20世紀の地球と同じような社会体制にあった。超大国と小国、資本主義を中心とした貧富の格差の大きな社会である。それを嫌い、限りない自由を求めた人達は、オドー主義者としてアナーキスト革命を起こし、荒涼とし、わずかな食料生産方法と鉱物資源しかもたない月「アナレス」への移住を達成した。言語を変え、貨幣を捨て、政府を認めず、厳しい生活環境の中で独自の社会を作った。そうして世代が過ぎ、ひとりの男が生まれた。
 その男、アナレス人物理学者シェヴェックが「所有せざる人々」の主人公である。彼は、若い頃から時間と空間に関する物理学について天才的な才能とカリスマ的な人間的魅力を持ち育ってきた。しかし、アナレスが当初目的としたオドー主義から離れつつあることに危機感を持ち、また、自らの理論を完成させるための研究資料を求めて、彼はアナレス人としてははじめてウラスを訪問することとなった。アナレス人シェヴェックの目からみるウラスの社会、人の異質さと共通点。そして、アナレスで感じ続けてきた違和感と安心感。時間軸をウラスの今と、ウラスに至るまでのアナレスでのシェヴェックの幼少からの歴史を交互に描きながら、ふたつの社会とひとりの人間を描き出そうとする。
 シェヴェックの哲学を一言で表するならば「苦悩こそが人々を結束させる」である。愛ではない、苦悩である。愛は憎しみに変わることもあるが、苦悩は、苦痛は人々にあまねく共通する。
 本書「所有せざる人々」は、ベトナム戦争でアメリカが撤退し(1973)、第四次中東戦争などでオイルショックが起こり、ウォーターゲート事件でニクソン大統領が退陣(1974)の時代に書かれ、発表されている。二十世紀社会の価値観がゆらぎ、第二次世界大戦を通じて確立したかのように思われた社会のあり方、家族のあり方、性のあり方が、もう一度ゆらぎはじめたときに発表された作品である。その視点の鋭さゆえに、各方面から批評され、深読みされたという。本書「所有せざる人々」は、SFというジャンルの持つ力を存分に発揮し、社会に影響を与えた作品のひとつであろう。それが作者の意図であろうとなかろうと、この作品は一人歩きをした。
 さて、二十一世紀を迎え、本書が発表されてから30年以上経った。
 シェヴェックが喝破した苦悩を人々は見ないようするふりが得意になったようである。結束したくないから見ないようにしているのか、苦悩そのものを否定したいのか。そう言っている私も苦悩から逃れよう、逃れようという意識ばかりが先に立つようになっているのだが。
 本書「所有せざる人々」で描かれるシェヴェックの物語は、共感する、しないにかかわらず、なにがしかの影響を読む者に与えるであろう。その物語の力は、今も決して古くない。


ヒューゴー賞・ネビュラ賞作品


(2007.12.8)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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