はるの魂 丸目はるのSF論評
わが夢のリバーボート
THE FABULOUS RIVERBOAT
フィリップ・ホセ・ファーマー
1971
本書「わが夢のリバーボート」はリバーワールドシリーズの第2作にあたり、「果てしなき河よ我を誘え」の続編である。
今回の主人公はサミュエル・クレメンズ。マーク・トウェインの本名である。「トム・ソーヤの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」などで子どもの頃大変お世話になった作家である。
第一作で、舞台設定の紹介は終えているため、本書ではたっぷりと舞台設定を活用してドラマを繰り広げることができる。見知らぬ惑星で人類の始祖から21世紀人までの主に成人3600億人が自らの記憶を持ったままに目を覚ました。ひとつの果てしなき河が流れる惑星で人々はひとりひとつずつの聖杯を手にする。この聖杯を河筋に等間隔で置かれる聖杯石に置くと1日2回、聖杯にそれぞれの人の必要に応じた生きるために必要な食事、嗜好品などが転移されてくる。人々は、同時代人、異時代人が入り乱れながらそこに生き、暮らし、愛し合い、時に争う。個人的に争い、集団で争い、奪い、奪われ、殺し、殺される。男女が愛し合っても決して子どもは生まれず、死んでも翌日には別の場所で自動的に復活させられる。壮大な何者かによる実験が行われている。
その異星人とみられる存在の中にも、この「実験」に否定的な者がいる。人類を救うためか、はたまた彼らの権力闘争なのか、数人の選ばれた人類に秘密が明かされ、河の上流を目指すよう示唆される。
サム・クレメンズもそのひとりである。
彼は、巨大な鋼鉄製のリバーボートを建造し、川の源流を目指すことを決意する。
竹と木しか原料のない世界で、唯一、鉄隕石が落ち、原料が得られる場所であらたな国を作り、社会と産業を築き、他の国と貿易しながらも国家を維持し、リバーボートを完成させ、船出すること。殺されない限りいつまでも老化せず死ぬことのない世界だからこそできる計画である。そして、最大の障害が「殺される」ことである。死ねば、翌日には復活するが、まったく違う「どこか」に復活するのである。自分のいた場所にたどり着くまで何年、何十年、何百年かかるかわからない広い世界ゆえに、彼は殺されるわけにはいかなかった。
サムは、狡猾なジョン王や、虫の好かないシラノ・ド・ベルジュラックらと手を組みつつ、この難解な課題に取り組んでいく。
このシリーズの魅力は、歴史上の人物が時代を超えて邂逅するところにある。近年は、ネット上の仮想社会においてAIによる仮想人格で同様の物語が作られているが、リバーワールドシリーズは、それを先取りしている。彼らはみな自分が復活され、特別な状況に置かれたことを自覚している。不老、復活、繁殖不能であることを除けば、できることはかつての生きているときと同じであり、それ以上の能力はない。この条件によって思考や行動は生きていた時とは当然変異する。
こうやって考えてみると、仮想社会や仮想人格などが新規なものではなく、人類が考えてきた世界観をもとにつくられてきたことが分かる。リバーワールドシリーズでは「異星人の技術」だったものが、技術的裏付けを持ってきたに過ぎない。
進んだ科学技術は魔法と区別つかない、である。
だから、物語には意味がある。物語は人々に共通する世界観を認識させる。そして、世界観をゆるやかに変異させていく。
そんなことをつらつら思ったりしながら、まだ手に入っていない第三作、四作目を探すのであった。
(2008.05.27)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
(スパム防止のため、全角表記にしています。連絡時は、半角英数にてお願いします)
●作家別●テーマ別●執筆年別
トップページ