はるの魂 丸目はるのSF論評


銀河のさすらいびと
GALACTIC ODYSSEY

キース・ローマー
1967



 古典中の古典だよなあ。2005年に新装版で復刊されたので手にとって読んでみた。以前の表紙はおぼろげに覚えているが…、前も書いたけれど、どうして最近のハヤカワSF文庫の表紙はアニメっぽい感じのものが多いのだろう。なんだかなあ。ま、いいか。お気楽なスペースオペラだし。

 叔父が死に、カレッジを辞めて約1年、元ミドルクラスのシティーボーイ、ビリー・デンジャー君は、日雇いの仕事も失い、寒さと空腹に耐えながら田舎をさまよっていた。そこに立派な1軒の家が。お金持ちらしい家の納屋に潜り込み、そのまま眠り込んでしまう。そして、目を覚ますと、そこは光速を遙かに上回る速度で深宇宙を旅する宇宙ヨットの中。ふたりの貴族とひとりの若く美しいお姫様が乗った宇宙船であった。密航者となったデンジャー君はひとりの貴族に救われ、彼の助手として様々な惑星をさまようことになる。
 しかし、ある惑星で貴族の狩猟ゲーム中に、ふたりは死んでしまい、デンジャー君と姫君だけが未開の惑星に取り残される。
 やっとのことで助けが来たと思ったら、非人類種の宇宙人によって彼は撃たれ、姫はいずこかに連れ去られてしまう。かろうじて生き残ったデンジャーは誓った。何があっても姫を助け出すと。
 そこから、大宇宙をまたにかけたデンジャーの伝説がはじまる。

 どうです。お気楽なスペースオペラでしょ。結論は見えているわけだ。最後はめでたしめでたし。ただ、そこにたどり着くまでには、デンジャー君、激しい苦難を厳しい旅を過ごさなければならないわけだ。その過程で、デンジャー君はいくつかの伝説を残し、何人もの友に出会っていく。
 いいねえ。難しいことを考えない、確固たる価値観に根ざした物語。
 物語さえも消費される時代になり、こういう基本的な物語の大切さを忘れそうになるが、ちゃんと読んで、ちゃんとおもしろがるのはありがたいことだよ。

 本書「銀河のさすらいびと」は1967年に発表されている。1967年といえば、日本では高度経済成長期まっただなかである。アメリカではもう少し先に行っている。そういうことをふまえて、ある惑星でのデンジャー君の友達のひとこと。
「おかしなものだな」フシャ=フシャがいった。「手工業があるのは、遅れた世界と豊かな世界だけだ。それ以外のところじゃ、機械がどろどろのプラスチックをいろんないがたに流しこむ風景しか見られない」
 けだし名言。


(2008.07.12)




TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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