はるの魂 丸目はるのSF論評


久遠
ETERNITY

グレッグ・ベア
1988



 グレッグ・ベア「永劫」の続編である。「永劫」を再読したのは2004年7月。それから約5年が過ぎた。そして、「久遠」を初読である。古本店で見つけたのだ。見つけてから1年ほど放置。人間とは忘却する生きものである。すっかり「永劫」の筋を忘れてしまった。自分で書いた「永劫」についてのメモを読み直し、なんとなく分かったような気がしたが、やはり忘れている。前作から40年後の地球。荒廃した地球には、彼らを救う別の時空の未来の地球から来た人達がいた。小惑星の内部には、超時空構造物「道」がつながっており、無限に近い空間や世界とつながっていた。そのつながりが切れ、荒廃した地球を救う側も資源不足に悩まされていた。まして、「世話をされる」側の地球人にとっては、いつも頭の上から礼儀正しく頭が良くてスポーツもできる優等生が学級委員長が面倒をみてくれるわけで、どうにも落ち着かない。そんななか、前作で別の時空に旅立った男が、ひょっこりと帰ってきた。宇宙の「終極精神」の遣いとして。出迎えるはめになったのは、若返りの技術を拒否し、晩年を迎えかけた主人公のひとりギャニー・ライアー。その妻、カレン・ファーリーは若返り技術を受け、地球行政官として活躍していた。ギャニーは、多くの救われない人々とともに死を迎えようとしていたのだ。しかし、そこに「終極精神」の遣いたるミルスキーがやってきてしまう。ひとりの人間と宇宙の死と再生を対比させながら…。
 一方で、前作の主人公のひとりだったパトリシア・ルイーザ・ヴァスケスは、やはり別の時空の過去の地球上で天才科学者として人々の科学力向上を手伝いつつ、年を取り、孫娘に彼女の秘密を伝授し、そして死んでいった。
 残された孫娘のリタは、別の時空の窓を開けることを希求するようになった。それが世界を変えることになるとしても…。

 ということで、途中まで何がなにやらと思いつつ読んでいたのである。
 私というざる頭の人間には、「永劫」も「久遠」も縁遠いのであろう。
 もう一度続けて読まない限り、何を書いていいやら分からない。

「永劫」をはじめて読んだ1987年頃は、とても忙しい新入社員だった。
「久遠」をはじめて読んだ2009年は、とても忙しい中年の一社会人である。会社勤めではないが、あれをしたり、これをしたり、あっちに行ったり、こっちに行ったり、なかなか一筋縄ではいかない。いろいろやりつつひとつの仕事を終え、新しいプロジェクトの準備をするさなか、頭に入らないなあ。しばらく休むか。

(2009.04.30)






TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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