はるの魂 丸目はるのSF論評


デューン 砂の惑星
DUNE

フランク・ハーバート
1965



 少年期に読んだ小説は、どうしても思い入れの強い作品になってしまう。主人公への感情移入だけではなく、そこに書かれる曖昧で、神秘的な言葉の数々、異世界の独特の環境、生物、人々の生き方…。私にとってデューンは少年期を代表する大河ドラマであった。中学生の終わり頃、初期3部作の「砂丘の子供たち」が翻訳され、シリーズの完結として本屋で並べられたときに、「デューン」と出会ったのである。まさに僥倖であった。
「砂の惑星」が書かれたのは、私が生まれた1965年。もはや44年も昔のことである。最初に読んだのが1978年頃である。以来現在まで何度か再読をしている。
 子どもの頃、とりわけ気に入ったのが例の「恐怖に対する祈り」というやつだ。「恐怖は心を殺すもの。恐怖は全面的な忘却をもたらす小さな死。ぼくは自分の恐怖を直視しよう。それがぼくの上にも中にも通過してゆくことを許してやろう。そして通りすぎてしまったあと、ぼくは内なる目をまわして、そいつの通った跡を見るんだ。恐怖が去ってしまえば、そこにはなにもない。ぼくだけが残っていることになるんだ」、である。第13版では26ページ目に登場する。その後も、訳文は違えど何度も何度も登場する名文である。恐がりの私が人生の柱としているひとつでもある。もちろん、できてはいないが。

 映画化やアメリカでのテレビドラマ化もされ、今でも時折ケーブルテレビなどで放映されているのだが、やはりここはひとつ作品にあたってほしい。第一部「砂の惑星」は、数年前に再販されているので入手可能ではないかと思う。
 話は…遠き遠き未来、人類は機械知性による長き支配をブレトリアン・ジハドによって脱却し、大王皇帝コリノ家のもと80代以上、1万標準年に渡って既知宇宙に広がっていた。宇宙協会が香料(スパイス)メランジと呼ばれる天然の薬物の力によって宇宙を折りたたみ宇宙の道筋を見据える航法士をかかえ、航法によって居住可能星系をつなぐ独占的な位置を占めていた。各星系は皇帝コリノ家と大公家、中小公家によって統治されていた。皇帝の力は宇宙協会と宇宙開発公社であるCHOAM、さらには、不思議な力を持つ「魔女」と呼ばれる修道士会ベネ・ゲゼリットなどの勢力とのバランスによって成り立っていた。
 古き大公家のひとつ、アトレイデ家は「正義」をもって知られていたが、やはり古きハルコンネン家とは世代を超えて深い対立と抗争を続けていた。アトレイデ家の拠点惑星は、水と緑に満ちたカラダン。農産物の豊かさで知られる穏やかな惑星である。人々はアトレイデ公爵を敬愛し、アトレイデ家もカラダンの人々に尽くしていた。一方のハルコンネン家の拠点惑星はジェディ・プライム。鉱山と鯨の毛皮で知られる暴力と恐怖統治の惑星である。ハルコンネン男爵は、恐怖を持って人々を統治することで知られていた。
 物語は、80年に渡ってハルコンネン家が皇帝より統治をまかされていた惑星アラキスを追放され、アトレイデ家が惑星カラダンから移るところから始まる。惑星アラキス、原住民フレーメンがデューンと呼ぶ、砂の惑星。そこでは1杯の水が何よりも貴重な乾燥した星。しかし、アラキスは、宇宙でもっとも価値の高い惑星でもあった。長寿薬であり、宇宙協会やベネ・ゲゼリットの意識拡張に欠かせない香料メランジが採取できる唯一の星であるからだ。化学合成できない香料メランジは、砂の惑星アラキスのみでしか産出しない。アラキスには、ほとんど生物はいないが、砂虫とよばれる、砂の中を水のように動く巨大な動物を見ることができる。砂虫はメランジの香りがする酸素をはき出すのだ。メランジと砂虫に関係があることは知られていたが、そのつながりについては誰も解明できたものはいなかった。
 さて、アトレイデ家の当主はレト・アトレイデ公。宮廷政治の結果、誰とも結婚することはなく、ベネ・ゲゼリットのレイディ・ジェシカを愛人としてひとり息子ポウルを跡取りと決めていた。ポウルは15歳。生まれながらに高い知能や精神的能力を持つだけでなく、公爵レトの側近、人間計算機で暗殺者として知られるスフィル・ハワトや、武術師範のダンカン・アイダホ、吟遊詩人かつ戦士のガーニイ・ハレック、さらには、魔女である母ジェシカにより、知力、精神力、戦士としての技芸を身につけていた。
 公爵レトも、ジェシカも、ポウルも、側近たちも、アラキスを得たことはハルコンネン家や宮廷政治での大いなる勝利であるとともに、アラキスに移ることはハルコンネン家の罠に入ることであり、大いなる危機であることを感じていた。
 アラキスに移り、ほどなく、公爵レトはハルコンネン家と皇帝シャッダムの陰謀によって殺される。そして、ポウルとジェシカはなんとかその危機を脱出し、砂漠の民フレーメンの中へと入りゆく。ところが、フレーメンたちは、ジェシカとポウルを待ち望んでいたのだ。ポウルはフレーメンの究極の夢である緑豊かで水に溢れたデューンの未来をもたらす救世主であると信じられていた。ポウルは、メランジによって新たな能力に目覚め、自らをムアドディブ(砂漠の鼠)と名乗る。それもまた、フレーメンの伝説通りであった。

 未来の一端を見通す能力を持ったポウルは、フレーメンという狂信的な力を得て、彼らの夢を実現し、同時に、ハルコンネン家、コリノ家への復讐と世界と人類を根底から変える道を歩き始めるのであった。
 壮大な未来史がここに幕を開ける。

「砂の惑星」「砂漠の救世主」「砂丘の子供たち」の主人公は、ポウルとその母ジェシカ、妹と子供たちの物語である。同時に、砂の惑星デューンの生態系の物語であり、宮廷政治、宗教の物語であり、それぞれの立場にいる者たちの大河ドラマである。SF的な要素は、未来、予知、地球ではない独自の生態系、メランジという薬物の効果に、砂虫や羽ばたき式飛行機のソプター、宇宙を折りたたんで航行するワープみたいな航法、反重力装置のサスペンサーなどであり、今日から見てすごく特異なわけではない。とくに、砂虫とソプターは、その後、宮崎駿によって、(そのままではないが)王蠱的なもの羽ばたき式飛行機としてビジュアル化され、違和感なくイメージが頭の中に成立している。今の方がより読みやすくなったと言えるだろう。もちろん、最初の「砂の惑星」が世に出たのは1965年だから、表現にはいろいろ難点がある。しかし、バロック的な未来であり、古くさい感じはない。むしろ、今だからこそ読みとれる部分も多い。
 すでに「古典」となって久しいが、SF受難の今日、日本では目に触れる機会が少ないのが残念でならない。シリーズの前史や続きも登場していることでもあり、一度全シリーズを再版してもらえないものだろうか。


(2009.08.01)

TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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