はるの魂 丸目はるのSF論評
真空ダイヤグラム
VACUUM DIAGRAMS(THE XEELEE CHRONICLE 2 VACUUM DIAGRAMS)
スティーヴン・バクスター
1997
「プランク・ゼロ」と「真空ダイヤグラム」の2冊を合わせてジーリー年代記を縦断する短編集が配列される。物語をつなぐ語り手は、イブ。異種族シルヴァー・ゴーストへの人類大使ジャック・ラウールの死んだ妻である。語り手の時間軸は5664年。前半の「プランク・ゼロ」は、すでに起こった過去の物語である。しかし、後半の「真空ダイヤグラム」はいきなり、語り手の時間軸の未来を舞台にする。10515年の「ゲーデルのひまわり」にはじまり、4101284年の「バリオンの支配者たち」に終わる。9作品、1万年先から400万年先までの未来である。途中には、長編「天の筏」の舞台と重なる「密航者」なども描かれる。
ぶっちゃけて言えば、ジーリー年代記における人類は、ジーリーにとってはネズミのような位置づけである。そのほとんどは不快害獣や実際に家をかじり、食料を引き、病気を運ぶ迷惑で駆除しなければならない存在である。ただ、時には愛くるしいペットとして温情をかけたりもする。そういう存在。ジーリーの宇宙で人類は、ジーリーに次ぐ位置を占め、ジーリーに戦いを挑むが当然相手にならない。ならなくても戦う。どうしようもない存在である。ジーリーには真の敵がおり、究極の目的があった。そっちがジーリーにとってのすべてであり、人類との戦いはめんどくさい障害であったに違いない。やれやれ。結局人類はジーリーとの戦いで宇宙の資源を使い果たし、自らも変化、退廃していく。やれやれ。
本書「真空ダイヤグラム」の解説で林譲治氏は、ベンフォードのユニバースシリーズとの比較をして、ベンフォードの宇宙では機械知性と人類の戦いの宇宙で人類が大きな役割を持つのに対し、バクスターでは人類の存在に皮相的なのは、ベンフォードがアメリカ人で、バクスターがイギリス人だからかもしれないとまとめている。たしかに、ベンフォードの機械知性の作品群と、バクスターのジーリー年代記は重なるところを感じる。さらに、超知性という点では、ブリンの知性化シリーズや、フレデリック・ポールの「ゲートウエイ」シリーズ(ヒーチーが登場するのだ!)などと重なってしまう。これは私が馬鹿で、物忘れがはげしいからだというのもあるが、どうにも、この手の超知性体シリーズものは感覚が似てしまうのだ。
そんなことってありませんか?
ところで、どこかに「天の筏」が転がっていないかなあ。これだけが未読。
(2009.09.05)
TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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